tere inenggi

研究(満族史・清朝史・東アジア史)や講義(歴史学・東洋史・中国語[漢語]・コンピュータ)等の備忘録

11月17日(木)

早朝11度、かなり冷え込んでいる。某記事(研究&授業用)が欲しいのだが、池袋の図書館にしかないとのこと。週末に出向くことにする。

午前は東洋史入門。第8回「「清朝史」研究の流れ(2)」。内容は戦後の「清朝史」研究について。今回は『史学雑誌』「回顧と展望」のCinii-PDF(大学で契約済)へ実際にアクセスしたり、清朝史研究の概説書・一般書についても版元サイトなどにアクセスした(+[前回学んだ]国会図書館デジタルコレクション・オープンアクセス)。

午後は情報処理。パワーポイント&プレゼンテーション準備(3)。

帰路の小田急線、車両に異常音がしたとのことで乗る急行が運休に。各駅で乗換駅まで出たが、バス終発には間に合った。ただ始まったクリスマスイルミネーションは見られなかったが (*´ -`)(´- `*)srsr

11月16日(水)

20161116ほぼほぼスーパームーンの名残りが日の出前の空で主張している。回りの星空もきれいだ。

1限は初級。第12課。ーけ身表現「让・被」、過去の動作様態の強調「是〜的」、5媽楷愀検虽然〜但是…」、ぁ岷曄善曄帖廚魍悗屐,麓分だと「被」がメインで使うことが多いが教科書通り紹介、△呂△詁団Г鯏措した.2限は中級。第12課。 嵳」の連動文、◆崘帖廚諒検↓「对〜来说」、ね0譴両魴錣鯢修后崑有〜才…」を学んだ。

午後は八王子へ。頼まれ仕事(研究)が遅れ気味なので集中。

やはりなんと言っても月がキレイでした (*´ -`)(´- `*)srsr

11月15日(火)

20161115前日のスーパームーンが見られず、翌日のほぼスーパームーンも見事とのこと。

午前は東洋史。第9回「江戸幕府の北方政策(2)」。内容は無高の大名・松前氏について学ぶ。まず仝什澆諒討匹海輕務て擦Webを見せた上で、江戸時代の松前氏は「石高一万石“格”」であったこと、E時の北海道(蝦夷地)は米が獲れず、その収益基盤を学んだ。それをイエズス会宣教師アンジェリスの蝦夷報告を読みつつ進めた。そこには学生等が高校で学んだアイヌとは異なるテンショやメナシから船をしたてて松前まで交易にくる(城下交易)姿だった。テンショとメナシからの交易品は被るものもあるが、全く異なるものもあった。そこにも注目した。それからぞ場交易への流れを追った。

午後は別な授業の準備。なかなか終わらない。帰路、地元駅でクリスマスツリーが飾られていた。疲れをとるためにブドウを購入。そのまま頬張れるのがよい。生ゴミでないしw

皮ごと食べられるブドウ糖度高くてよかった (*´ -`)(´- `*)srsr

11月12日(土)

20161112雨上がりの土曜日。差し込む光がまぶしい。

午前は初級。第10課。ゞ疚ね茲良集宗嵳廖僧察廖↓∋般鯑飴譟让」、「把」構文、ぢ幻淑検↓テ飴譴力動式、Σ渉蟯愀検峇然〜就…」を学ぶ。難しい構文が並ぶが、ひとつひとつ特徴を板書した。

午後は明治大学中央図書館に移動。授業用のコピーを取るはずが、芋づる式に研究で必要なものが見つかったのでコピー。3時間以上コピー機の前に立っていたので腰が痛い。後で数えたら、論文20本、1000枚以上あった。

そのまま八王子に向かい資料整理。地元駅に着いたのが夜10時だった。適当に夕食を済ませて帰宅した (*´ -`)(´- `*)srsr

11月11日(金)

20161111秋の長雨とはこのことか。自宅から地元駅まで30分歩いたところ、すでにズボンがグチョグチョ。おまけに気温7度とか寒いときたもんだ。

笹塚駅での乗換もホームに雨が吹き込み、みな傘を差していた。

朝、講師室から教室への別棟移動で大きな水たまりと呼ぶには小さすぎる池ができていた。

午前は入門。第8課前半。〕貌の言い方、月・日の言い方、G齢の尋ね方と答え方、ぁ嵶察廚陵冕,魍悗屐´△狼震笋鬚泙困詫ダ茲靴導个┐討發蕕ぁ↓は3パターンの特徴、い蓮嵶察廚琉銘屐癖庫と動詞の後ろ)と意味を簡潔に板書した。課文日訳。

午後は中国語。第8課後半。‘虻遒凌聞垠繊↓∋刻の表現、O動文(目的)を学ぶ。△聾綟学ぶ「時間量」との違い、は訳し方(〜しに行く・〜しに来る)に重点を置いた。課文日訳。

夕方は初級。第18課。仝彊・理由の「怎么」、∀動文を学ぶ。△鰐榲(〜しに行く・〜しに来る)と方法・手段(〜で)を同時に学ぶので文法数は少ないが、説明に時間がかかり対話練習に入ったのがだいぶ遅かった。対話練習。

つけ麺食べて帰宅 (*´ -`)(´- `*)srsr

11月10日(木)

20161110ふと駅のポスターを見るとクリスマス仕様。実感まったくなし。そういえばお世話になったSさんの誕生日。おめでとうございます(^-^)

午前は東洋史入門。第7回「「清朝史研究」の流れ(1)」。いわゆる清朝史研究史の初回。\仰史研究の始まり(1900年代〜1920年代)、∪仰史研究の興隆(1930年代〜終戦)を学ぶ。,倭梓に学んだ内容と被るが、学生のリアクションペーパーからは「復習になってよかった」とか「もう一度違う深度から学べてよかった」といった前向きなコメントが目立ったので、結果的には正解だったのかと感じている。

併せて、後期のテーマのひとつでもある「卒論執筆への実際のアプローチ」の実践をおこなった。例えば、織田万『清国行政法』や市村瓉次郎「清国国号考」、また内藤湖南「清朝衰亡論」「清朝史通論」などについては、実際に「国立国会図書館デジタルコレクション」に学生の目の前でアクセスして見せたり、さらには大学紀要や研究雑誌のオープンアクセスにも学生に分かるように実践してみせるなどである。これらは予めパワーポイントで作成しておいたものを使用した。

午後は情報処理。パワーポイント&プレゼンテーションの続き。順調に進んでいるか心配な部分もあり、こちらから話しかけてはいるけど、彼らはマイペースのようだ。

帰路、小田急線が人身事故で不通とのこと。川崎経由で22時に帰宅。

夜は今季初の電気毛布の出動! (*´ -`)(´- `*)srsr

11月9日(水)

雨雲覆う水曜日。スマホで写真を撮るも実際の明るさには写らない。

1限は初級。第11課を学ぶ。 峇欢」、◆幀陝前样」、主述述語文、て飴譴僚鼎夕亜F睛禿にはさほど難しくない。は日本人が苦手な文法でもあるので、板書&説明したが中級で学ぶことがあれば、その時に再び覚えればよいと伝えた。

2限は中級。第11課を学ぶ。 嵳」の兼語文、∋般鯑飴譟让」、I詞「就」(〜だけ)、な数の事が予想される副詞「都」。そして課文日訳。

午後は文理学部まで所用。師匠にご挨拶に行くべきだが、授業準備が終わっていないので泣く泣く断念。

授業準備を終えて21時に帰宅 (*´ -`)(´- `*)srsr

11月8日(火)

20161107気温5度。だいぶ寒いが最高は16度と若干高めの火曜日。

写真は月曜に上田帰りの方から頂いた「黙れ小童!!(大河ドラマ「真田丸」より)。

午前は東洋史。第8回「江戸幕府の北方政策(1)」。内容は北方政策の前までで、_椣佚膽芍攤蟷瓠並6回までの復習を含む)、∨臣秀吉・徳川家康と「狄之嶋主」蠣崎慶広を学んだ。まだ我々が知る江戸時代のアイヌの生活の前段階を中心に、安藤氏の代官だった蠣崎氏(松前氏と改称)が秀吉の大名として取り立てられ、家康に黒印状を与えられ蝦夷の権益を承認されるまでを追った。

木曜の準備をして20時過ぎに帰宅。

たっぷりニンニク補充してきました。スタミナつけないと (*´ -`)(´- `*)srsr

11月5日(土)

午前は初級。第9課を学ぶ。(向補語、結果補語、「〜极了」、げ椎淑筝譴箸いΦ佑畊腓錣察F颪靴瓩覆ら次年度の中級編への橋渡しと考えている。もちろん試験にも出題する旨を伝えた。

午後は補講。ほのぼのした空気の中過ごせた。最寄り駅で補講に出てた4人組と再び遭遇。最前列に座った彼女たちの存在が、今年度の楽しい授業に繋がったと改めて認識しつつ帰路に着いた。

一杯“センベロ”で引っかけて帰ろうとしたら開店30分前。諦めて地元駅に帰った (*´ -`)(´- `*)srsr

11月3日(祝・木)

20161103文化の日。学祭シーズンで旗日だが出講日。

午前は東洋史入門。一区切り付いたので「第6回:史料編・ネルチンスク条約を読む」。史料というものが立ち位置でどれくらい違うのか、或いは違わないのか。またイエズス会宣教師が仲介したこの条約の正文の微妙な違いからどういうことを読み取れるのかなどを学んだ。そして清朝皇帝の一面を理解してもらった。ただ受講生のリアクションペーパーからは、清朝皇帝の複数の顔について「どれが正しいのか?」という問いもあり、今後に繋げる材料ができたと喜んでもいる。

その後、学生の相談を受けた。

まる1ヶ月休めなかったので、まる一日休むことにした。新宿バスタから2時間程の場所へ。

晩ご飯は贅沢しようと考えたが、結局地元のうどん480円にした。これはこれで美味しかった (*´ -`)(´- `*)srsr

11月2日(水)

栄養ドリンクをほおばる水曜朝。

1限は初級。第10課を学ぶ。ゞ疚ね萇集宗嵳廖僧察廖↓∋般鯑飴譟让」、「把」構文。難しめな文法の目白押しだが、学生には次年度の予習に思えば楽になると説明して進めた。例文そのものはわかりやすいのでよいかも。
2限は中級。第10課を学ぶ。‘盈綿筝譟↓⇔ス膸譟↓5媽發侶誅世鯑海出す「虽然〜但是…」、づ魂担愀検嵒埣◆措且…」。その後、課文訳。

午後は某手続きで文理学部。図書館に立ち寄り、その後八王子に籠もった。師匠へのご挨拶もしていないが。

何だか必要以上に疲れる (*´ -`)(´- `*)srsr

11月1日(火)

20161101運転疲れが取れないままの火曜日。

午前は東洋史。第7回「露清紛争とアムール川下流域(2)」を学ぶ。内容は.優襯船鵐好条約後のアムール川下流域〜サハリンにおける辺民制度拡充、▲縫鵐哀燭ら三姓への衙門移動など。

午後は授業準備。受講生のやる気が準備を後押ししてくれる。

3日間で1150km走行した(1人運転)のは初めて。頭がクラクラする (*´ -`)(´- `*)srsr

10月31日(月)

20161101北海道踏査最終日(3日目)は昨年も行った旧赤煉瓦庁舎の樺太関係資料館。

観光客が多いと思ったら、中国人(東北なまりがあった)だった。

その後、六花亭で買い物をしてレンタカーを返した。レンタカー屋さんが空港から離れているので、早めに返却した後はお土産を買い、空港内の温泉に浸かって疲れを癒やした。

羽田へ着いたのは日没後だった。翌日1限が授業なので、万一に備え埼玉県内の安宿を予約しておいた。20時前にホテル着。夕食食べて早めに寝た。

合計走行距離は3日で1150キロ。直線距離だと東京から屋久島くらいかな (*´ -`)(´- `*)srsr

10月30日(日)

20161030待ちに待ったこの日。2週間以上前から天気予報ばかり眺めていたのは、この日のため。そんな北海道踏査2日目。

3時40分、ホテル出発。6時20分、おびら鰊番屋文化歴史公園(道の駅)着。松浦武四郎銅像と荒れる日本海を前に休憩。鰊漁も江戸期蝦夷を支える産業のひとつで、こういう場所に会所が設けられた。途中、三毛別ヒグマ事件で有名な苫前を通過(復元現地も見たかったが、片道2時間近くかかるのと、今でも本当にヒグマが出る[今年はクマの出没が多い]のでやめた)した。

8時15分に天塩到着。鏡沼海浜公園内の松浦武四郎銅像へ(なぜか布でぐるぐる巻きにしてあった)。ここは江戸初期の松前城下交易時代にはテンショと呼ばれ、東のメナシとともに松前まで蝦夷の交易船が出ていたと宣教師アンジェリスの記録にある。来たかった場所のひとつ。

10時半、宗谷岬到着。言わずと知れた日本最北端の地。気温2度、風速11メートル。残念ながら42キロ先の樺太は見えなかった(写真上)。間宮林蔵渡樺出航の地→宗谷歴史公園の旧藩士の墓前にお供えをし、正午前に開基百年記念塔に到着。今回の踏査のメイン。稚内市北方記念館は今年最後の開館(10月末日まで。月曜休館なため本日が最終日)。塔に登ったがやはり樺太は見えなかった。ただ西に霞んで見えた利尻富士に存在感を感じた。記念館に図録はなかったが撮影は自由だったので、たくさん写真を撮った。コミュニティFMのFMわっぴ〜(http://www.wappy761.jp/・サイマルラジオで聴く)で和んだ。

20161030-2稚内駅前で昼食を済ませ、ガソリンを満タンにして最終目的地へ。天塩山地で雪が降り始めて路上は凍結、また追い抜いたダンプカーに煽られながら、日没直前の15時50分に音威子府村の「北海道命名の地」に到着(写真下)。

そこから旭川まで雪が断続的に降り、真っ暗な見知らぬ道を高速道を乗ったり降りたり(繋がってない)して、260キロ先の札幌まで走った。若干だが命の危機を感じた。20時前に札幌のホテル着。

この日(だけ)の走行距離736キロ。もちろん一人で運転。後にも先にもこれを超える記録はない。後日談だが、数日間頭痛に悩まされることになる。 真田丸を見て、ススキノで夕食をとった。

736キロは東京ー岡山間くらいかな (*´ -`)(´- `*)srsr

10月29日(土)

20161029昨年に続き、北海道踏査の初日。休み期間と金額と博物館開館時期の折り合いをつけると、どうしてもこの時期になってしまう。

早朝便で千歳空港入り。レンタカーを借り(昨年とは別で安くしたら思いのほか時間を費やしてしまった)、午前は新ひだか町静内へ。真歌公園に11時ちょうど着。英傑シャクシャイン像・シベチャリチャシ跡・シャクシャイン記念館・アイヌ民俗資料館・松浦武四郎記念碑を見る。

途中、今夏の北海道を襲った台風で崩れた崖、寸断されて土に埋まったり宙ぶらりんになった日高本線の線路などを何カ所も目の当たりにした。運転しながらだったので写真は撮れなかった。記念館の方との話からは、台風で寸断された鉄道をこのまま廃線にして欲しくないという思いを強く感じた。

また天気がよいと真歌公園の坂道から青森が見えると聞いたのが印象的だった。十三湊(青森県)には蝦夷(北海道)からも交易船が頻繁に来港していたからだ。あいにく青森は見えなかったが、松前や函館のある渡島半島はくっきり見えた。こういう土地に来ると歴史地理を体感できるのが大きな魅力だが、北海道踏査初日でそれを感じている。

午後は白老へ。2020年に国立博物館になるアイヌ民族博物館へ。こちらにも松浦武四郎碑がある。展示史料と民俗芸術(歌など)をコンパクトに上手に見せていたのが印象的。昨年行った二風谷より地理的条件が良いこと(札幌から近いことなど)から観光客が多いと聞いていたが、流行っているのは地理的部分だけではないことも理解できた。

17時半過ぎ、札幌市内のホテル到着。走行距離313キロ。ススキノで夕食をとった。

台風の爪痕深し、蝦夷(えぞ)の行秋 (*´ -`)(´- `*)srsr

10月28日(金)

Wifiが予想以上に財布をむしばむ。何とか安くしたいと思っていたら、K先生から激安プラン(というか会社)を使っていることを聞いた。docomo系らしいが日本でも中国でも不便さやストレスを感じないとのこと。

午前は入門。第7課後半。‖佻知習、⇔習問題、グループ単語を終えた。,任和茖雲次楝茖垣次开始)と第4声+第4声(见面)の声調にこだわった。では単語は組み合わせて(例:坐电车や骑自行车など)「搭配」が便利で結果的に手っ取り早いことを紹介した。

午後は中国語。第7課後半。‖佻知習、短文、N習問題を終えた。

夕方は初級。第17課。〕預嵎筝譟↓完了の「了」を学んだ。,鰐榲語のないもの・あるもの共に板書したが、実は日本語を操る我々には逆に訳しやすい文法ということを紹介した。

次週は学祭休み。翌日早いので理事会は休ませて頂いた。

喉がまだ治らないがどうしよう (*´ -`)(´- `*)srsr

10月27日(木)

20161027日の出を外で見る時期になった。そして肌寒い木曜。

午前は東洋史入門。第5回「「史料」と清朝史研究(4)」として、\仰入関後の「根本史料」、∨洲語と檔案史料について学んだ。,任論仰の文書制度を概観し、「題本」と「奏本」、そして「奏摺」、さらに雍正帝による「奏摺政治」などについて現物の写真を見ながらネットワークなどを学んだ。△任蓮入関前はいざ知らず入関後における満洲語檔案史料の価値について、満洲人の「漢化」や清朝の「科挙官僚」「旗人官僚」、さらに「辺境」事務(中央の八旗事務にも触れつつ)との兼ね合いで考えた。しばらく会えてませんが師匠に感謝。

午後は情報処理。プレゼンテーション(1)。数週間はグループごとに発表内容を纏める作業。初回は教員が決めたグループごとにテーマに沿って題材を決めさせた。

地元駅の中華惣菜屋さんにて夕食を買って帰宅。

「黄金の蔵」「銀蔵」という「金銀」の店が向かい合っているパワースポットを発見してしまったw (*´ -`)(´- `*)srsr

10月26日(水)

出講先駅前に24時間営業の海鮮居酒屋がある。朝食から鉄火丼食べたら美味しいだろうなと考えつつも、予算的に無理。などと空想の世界に浸りながら早めに出講先の講師室へ。

朝8時前、小田急線で人身事故の一報が。9時になっても先生方が半分も集まらない。教室に入ったら学生は5人足らず。これでは授業にならない。1限は初級だが、半分以上集まったところで授業開始。第9課を学んだ。(向補語、結果補語、「〜极了」、げ椎淑筝譟J筝譴量槐魏,掘でも、自分自身が不得意だった部分でもあるので、そこを逆転させて今では特異もとい得意な個所でもある。

2限は中級。遅延の影響が続いていたが、余り待てないので時間を区切りスタート。第9課を学んだ。‘飴譴慮紊痢给」、⊆け身文、「不是〜就是…」、ぁ嶌凸號廖过」。△蓮嵌錙廚鮖箸辰森淑犬世、動詞に補語が加わることを強調、は自分自身がよく間違えた構文なので「間違え例」を示しつつ進めた。

午後は町田で昼食からの八王子。午後は27度になった。もういやw 涼しい所へ行きたい (*´ -`)(´- `*)srsr

10月25日(火)

授業を紹介してくださった先生が、ある社会貢献活動(研究の還元)をしている記事を見た。所属や専門分野を生かした活動は、とても羨ましく感じた。

午前は東洋史。第6回「露清紛争とアムール川下流域(1)」。内容は\仰の女真統合と東北方面政策、▲蹈轡△箸寮椰┐魍悗鵑澄,任蝋盥士鮖剖飢塀颪砲△襦屮優襯船鵐好条約」の意味を確認した上で、清朝の「辺民制度」を説明、△任魯蹈轡△龍謀貎塀个箸蠅錣吋▲燹璽訐遒悗領れ、清とロシアの紛争を学んだ。それを受けて教科書にはない、別な清朝による東北地域保全の目的を理解した。

午後は八王子へ移動し、木曜午前の授業準備。20時退室。

久々になっとう味のうまい棒を頂いたw (*´ -`)(´- `*)srsr

10月23日(日)

休日ダイヤの電車で市ヶ谷に向かうと、平日より20分程早く到着することに気づいた。プチ知識。

集中講義最終日。東洋史演習。4回目の「翻訳&リサーチ」から発表→清書。休憩を随時入れているつもりが、受講生の方々が集中しているようで、あまり休んでくれない。なので一区切りついた発表前、こちらが発表原稿を預かったとき休憩時間を無理やり挟み込んで休んでもらった。とは言っても、発表が終わったら午後1時過ぎ。そこから昼食。清書を終えたあとに、今回のテーマ関係の映像を観賞。その間に、教員側が今回の成果をまとめた。最後に反省会をして解散した。受講生の方お疲れ様でした。とりあえず無事に済んでほっとしました。演習なので、その場で成績をつけて事務方へ渡した。

その足で池袋へ。大学院時代の後輩と待ち合わせて中国しゃぶしゃぶ。会うのは夏休み以来だった。3時間程食べて話して解散。というか、自分自身も久々に休んだ気がする。

しゃぶしゃぶ屋さんは店内中国語だったw (*´ -`)(´- `*)srsr
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

管理人プロフィール

出身地:群馬県前橋市

履歴:高校卒業後,日中学院より中国に3年間留学。印刷関連会社勤務を経て,日本大学通信教育部(史学専攻)から日本大学大学院文学研究科史学専攻(博士前期課程)へ。日本大学大学院文学研究科東洋史学専攻(博士後期課程)満期退学。博士(文学)

現職:非常勤講師ほか

専攻:清朝史・満族史・東北アジア民族史・東アジア史及び満洲語文書資料。

タイトルの“tere inenggi”とは満洲語で“その日”という意味です。

現在,歴史学・東洋史・中国語(漢語)・コンピュータ情報リテラシー等の講師をしてます。講義では,できるだけ多様な視座を提供したいと模索中です。

カテゴリー別
月別アーカイブ
最新コメント
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ