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福建省泉州市にある施琅の墓の石人です。見ていただければ分かるように、左側が清朝の文官、右側が明朝の武官の格好をしています。この写真では、左端が墳墓なので、清朝の文官の石人が上位になります。

施琅はもと鄭成功の父親・鄭芝龍の与力でしたが、鄭芝龍が清朝に寝返ると、鄭成功のもとで活躍をします。のちに鄭成功と仲違いをし、妻子を殺されたため、清朝に寝返ります。それから約40年後、清朝軍の総大将として台湾を攻略、鄭成功の孫を降伏させます。石人は、このような施琅の立場を反映したものでした。

施琅については、井上祐美子「妃紅(フェイホン)」(『妃・殺・蝗』講談社文庫、2002年)が小説ですが、とても読みやすいと思います。

この時は、調査で泉州を訪れましたが、長年のライバル、鄭成功と施琅の子孫それぞれを訪問しました。ただ窓口となったのが、鄭氏側だったので、交流も主に政治協商会議側とでした。現在でも、祖先の歴史功績をめぐって、それぞれの子孫がいろいろと主張しております。詳しくは、細谷良夫・綿貫哲郎「泉州の鄭成功と施琅の史跡」(『月刊東方』273号、2003年11月)を参照してください。