旧定南王府2002年12月に細谷良夫(東北学院大学)・劉小萌(中国社会科学院近代史研究所)両先生のお供をして、中国南部の現地調査をした。その際、立ち寄った場所のひとつが桂林であった。

史跡名勝は靖江王府(明初、朱元璋が族侄朱守謙を初代として封じた)。清の順治7年(1650)に孔有徳が桂林を占領し、定南王府と改名。娘の孔四貞、婿の孫廷齢を収め、三藩らとともに清初の南方経略をおこなった。

ところが2年後の順治9年(1652)、李定国軍が桂林を攻略、孔有徳は自刎して果てたのである。その後、ここは「貢院」として清末を迎える。

桂林にある孔有徳関係の遺跡は2ヶ所。ここの「定南王府」と「桂海碑林博物館」に存在する。「桂海碑林博物館」は後日紹介するとして、「定南王府」は現在は広西師範大学のキャンパスとなっている。ここの版元(書店でよく目にする歴史関係の出版社)は城壁の外側にあったが、時間の都合で立ち寄れなかった。

孔有徳自刎の図「定南王府」で、孔有徳に直接つながる遺跡は見つけられなかったが、校内には「靖江王府博物館」があり、そこには近年に書かれた「孔有徳自刎図」があった。図のなかの孔有徳は総髪であり、清朝政権に降伏した証である辮髪でなかったが、細谷良夫先生は「孔有徳は八旗に編入されていないし、以外と総髪だったのかもしれない」と、この「自刎図」をそのまま受け入れられていたのが印象的であった。