瀋陽碑林2002年10月30日,瀋陽故宮を後に,遼寧民族出版社に向かう。劉小萌先生の旧知である編集者の呉晰陽女史と3人で昼食。

昼食後,遼寧省民族研究所へ。編集者数名と情報交換し,『満族研究』など数冊を入手。

その後,瀋陽碑林へ。

石塔篆刻で記されている門額が「“沈”陽碑林」なのはご愛敬。入るなり目に飛び込んできたのは,まだ整理されていない石碑に混じって,戦前の日本軍関係のものと思われる日本式の石塔の下部分である。真ん中写真には,「奉天駐箚/歩/兵/第三十三聯隊/将兵一同」と見える。

院内には,明清時代の石碑がならんでおり,そのなかには,歴史上有益な資料も存在する。

明成化23年(1487)建立の「重修瀋陽長安禅寺碑」には,曹雪芹の族祖である曹輔や曹銘の名前が刻されており,曹雪芹の先祖が瀋陽一帯に影響を持っていたことを知る上で,貴重な資料といえる。

エイドゥの石碑また,清朝関係では,清初五大臣の一人,エイドゥ(Eidu,額亦都)の破損した石碑(順治11年4月18日)が保存されている(下写真)。エイドゥの墓は,盛京福陵(清太祖ヌルハチの陵墓)の西北2キロの場所に陪葬されるかたちで,瀋陽市東陵区英達郷にあった。

エイドゥは,天命6年(1622)6月,遼陽で没した。ヌルハチは「大哭了三次」し,遼陽に葬られた。天聡元年(1627),弘毅公を追封され,ヌルハチの陵墓が完成すると,陪葬させた。

入関後,康熙・乾隆・嘉慶・道光の各皇帝による東巡時には,みなエイドゥを祭っている。その時に詠んだ,多くの御製詩から,死後も大切に扱われたことが分かる。

文化大革命によって,エイドゥの墓は破壊され,風水の好条件にあった土地には,5つに分断された石碑が,1981年10月に墓地から運び出されたのを最後に,何も残されていない。

見学後,再び遼寧省民族研究所の研究員の方々と夕食。昼食と同じく,東北特有の大皿料理の量にびっくりし,更に白酒をたくさん飲む某女性研究員に2度びっくりした。その方は,何事もなかったように帰宅した。

我々も,夕食後,宿舎に戻った。