ホンタイジ022002年11月1日,劉小萌(中国社会科学院近代史研究所研究員)氏とともに瀋陽東陵(福陵)をあとにして,遼寧省社会科学院歴史研究所に関嘉禄・佟永功両氏を訪ね会食。

当時のメモには,劉氏と関氏・佟氏の会話にまじり,小生の師匠筋の話題に花を咲かせたとある。

その後,頼んでおいた資料(段ボール3箱分)を購入し,国際郵便局より日本の実家へ郵送。劉氏のおかげで1時間ほどで終了。

それから急いで,瀋陽北陵(昭陵)へ。以前2度訪れているが,全く様相を異にしていた。当時のメモには「公園はきれいに整備されており,遊園地はなくな」り,「南口の広場には新たに,満漢の額がつけられ」ていたとある。

関嘉禄氏が,2001年2月の北陵保存に向けた瀋陽市人民代表大会の席上で,「北陵は“陵”であって“園”ではない」などの意見によるものであった。

ホンタイジ01その結果,2001年9月,瀋陽市政府は北陵公園の131ヶ所“占建”を取り壊し,改めて同地を“復元”した。満漢扁額【写真下】はその時に掛けられたもので,左側のeldengge mungganの満文は関氏が記したものである。

夜は,以前宿泊したことのある鳳凰飯店の前を通って,ご招待を受けて張玉興(遼寧省社会科学院歴史研究所)氏のご自宅へ。氷点下の外気とはうって変わって,張氏のご家族がそろって温かく出迎えてくださったことに感謝。壁一面の書棚や書籍には,小生には全く縁がないもので圧倒されるばかりであった。夜は張氏による接待。

翌日,朝9時の電車で北京へ。今回は,劉氏の考えで瀋陽居住の研究者やその関係者とたくさん会談した。(2007年6月15日一部修正)

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☆ときどき尋ねられますが,このブログで紹介した(する)のは,実際の現地調査のごく一部にすぎないことを申し述べておきます。