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HPのトップを更新しました。やはり専門の八旗漢軍旗人に関係する写真をおくと身が引き締まりますね。

写真は,2002年8月,劉小萌(中国社会科学院近代史研究所研究員)氏と中国北京市懐柔区を調査したときの一枚,紅螺山地区にある八旗漢軍旗人・范文程の墓。

范文程(1597〜1666年)は,字を憲斗,号を輝岳という。北宋の范仲淹の子孫と称し,太祖ヌルハチから康煕帝の四代に仕える。

万暦46年(1618)以来,太祖ヌルハチの側にあって献策をおこない,太宗ホンタイジ期には漢人をとりまとめている。八旗漢軍旗人のなかでも,まさしく「余人をもってかえがたい」人物。死後はここ紅螺山に元配陳夫人とともに葬られた。

現地では「范閣老」と呼ばれているとのことであったが,思いのほか1時間以上時間を費やしてしまった。結局,墓の近くを彷徨っていただけであったが,通りからだいぶ入ったところに墓を見つける。しかしながら,「一国の総理大臣まで務めた人物の墓にしては,石碑はともかく案内板すらなく,みすぼらしくさびしい限り」(劉氏談)。墓と言っても墓郭があるのみ。ほかは一切なし。墓は草むしりなどの整備すらされず,放置状態であった。地元の人に尋ねなければ,絶対に見つけられない場所。

この日は,紅螺寺と慕田峪長城を調査。よく覚えているのは昼食。何でもこのあたりは水が綺麗だとかで,川魚のお刺身頂いた。とても淡泊で,北京郊外の懐柔区に日本のワサビと醤油が置いてあったのには驚いた。

また,懐柔区は別荘地が多く,歴史ドラマで和珅(ヘシェン)が当たり役となった王剛もそのレストランの近くに別荘があるとのマニア情報(!?)をゲット(笑)。←あくまでも,2002年当時の情報です。

范文程については,遠藤隆俊「范文程とその時代―清初遼東漢人官僚の一生―」(『東北大学東洋史論集』6,1995年)に詳しい。