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4月25日以来のHP功臣もとい更新。

写真は八旗漢軍旗人・祖承勲の石碑(「御祭文/hesei bithe」)。 2002年9月17日,細谷良夫(東北学院大学教授),加藤直人(日本大学教授),劉小萌(中国社会科学院近代史研究所研究員)各氏とともに現地調査した。

北京市海淀区東昇郷馬坊村は,現在は四環路から長城へ向かう高速道路のわきに位置する。ここは「祖家墳」と称される土地で,明末から清初に活躍し,2度清朝に降伏した祖大寿(?〜1656)の墓地をはじめ,祖氏一族の塋地(墓域)であったという。しかしながら,現地調査したときには祖大寿ら一族の塋地の面影はなく,石碑が2つ残されるだけであった。それがここにあげた祖承勲,それと祖承煦の石碑である。祖承勲の石碑の保存状態は比較的良い。

祖承勲は『祖氏家譜』によれば,祖大寿の大叔父(祖父・祖仁の弟・祖礼)の長子であるという。祖父の代の諱が仁や礼ということについてはさておき,「三藩の乱」が起こると,トゥハイ(Tuhai;図海)や覚羅ジハリ(Jihari;吉哈里)とともに,呉三桂の鎮圧に功績があった(『清史稿』巻254・列伝41「覚羅吉哈里」伝)。

祖承勲に関する『祖氏家譜』の記録は少なく,「諱礼長子。祖母寧氏・楊氏・劉氏。生四子,長名大秩・次名大錫・三名大魁・四名大元(「寧」の下部分は「冉」;「魁」の「鬼」部分の「点」はなし)」とあるのみである。

余談であるが,この日の夜,「急性胃炎」で北京市内の病院に緊急入院した。結局1泊で済んだが,合計四年間の留学(1990年9月〜1993年7月;2002年4月〜12月)中に入院したのは後にも先にもこの時だけであり,入院の手続きにあたっては日本では考えられないような,貴重な経験をしたと思っている。