2007年のNHK大河ドラマは「風林火山」。

長純寺:外観これまで,戦国時代の群馬県については,武田・上杉・北条三国争奪の舞台で,強力な戦国大名不在の地として知られている。とはいえ,弱小ながら戦国大名については箕輪城主・長野業政(ながのなりまさ)が地元では知られていたものの,まだ全国区ではなかった。

ところが,大河ドラマの「風林火山」で長野業政が温かみある人物として登場(演・小市慢太郎;23話[6月10日]・24話[6月17日]・30話[7月29日]・37話[9月16日予定]・46話[11月18日予定])しており,話題となっている。群馬県出身者としては嬉しい限り。

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長野業政(ながのなりまさ)は,業正(なりまさ)とも書かれる。墓は長純寺と長年寺(榛名町;後日紹介予定)にある。

長純寺:本堂長純寺は,群馬県高崎市箕郷町富岡原山天台851にあり,明応六年(1497),長野業政の父・長野信業(のぶなり)によって,鬼石町の永源寺四世幻室伊蓬禅師が招かれて開かれた。当初は,箕輪城の南に位置する上芝(現・高崎市箕郷町上芝;この時はまだ箕輪城は築かれていない)に置かれていたが,弘治年間(1555〜1558年),業政の母親の十七回忌にこの地に移されたという。寺には長野氏の家紋・檜扇(ひおうぎ)が記されている(写真中)。

業政は,西上野(にしこうずけ;群馬県西部)の箕輪城(群馬県高崎市箕郷町;平成18年[2006]1月23日に高崎市と合併)に依り,天文二十年(1551)年に山内上杉氏の上杉憲政が越後に逃れてからは,西上野の武士団を糾合し,数度にわたり武田信玄の軍勢を撃退している。

『箕輪軍記』「長野信濃守卒去之事」には,「…終に永禄四年林鐘廿二日に御逝去されける。其形勢媿事也。夫より藤井豊後守と内談して,往年の秋まで隠といへども,終に信玄之洩聞。信玄大きに悦び…(中略)…業政一人箕輪に元住して猛威をふるひ,数万の軍兵を持度々責るといへどもいまだ落ちず。業政病死せば子息右京進父におとらぬ勇士なれ共,高教業政に及ぶべからず。此時上野国を討取らずんば何の時か名を顕さん。」とある。

大河ドラマでは,長野業政と真田幸隆との交流・離別場面のみで,武田信玄との対決シーンまで進んでいない。今後のことはドラマで描かれるか不明であるが,長野業政はこれまでの真田幸隆との温かいシーンだけでなく,武田信玄が軍事的・政治的に脅威と感じていた人物であるのである。

長野業政の墓(長純寺):群馬県高崎市箕郷町長純寺にある長野業政の墓碑には以下のように記されている。「(中央)当寺開基一盛長純大居士神儀,(右側)永禄四年辛酉年箕輪城主長野信濃守信業公之塔,(左側)六月後一日,当時十三代実山真叟造立之」とある。「信業」とあるのは,おそらくは自分の死を隠すために,わざと業政の父親の名前を記したと考えられるほか,没年(生年も)については諸説ある。

墓碑の右側に立っている供養塔は,「箕輪城主始武士団物故者塔」と記されている。昭和60年(1985)に長野業政墓前で供養したときのものである。

長純寺の開基堂には,長野業政の像がある(市指定文化財;昭和48年)。

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長純寺(googleマップ):http://maps.google.com/maps/mm?hl=en&q=%E9%95%B7%E7%B4%94%E5%AF%BA&ie=UTF8&ll=36.398591,138.94083&spn=0.00174,0.003288&t=h&z=18&om=1