征清捕獲品陳列の図(不忍池旧馬見所跡の前)上野不忍池畔は,日清戦争戦勝祝賀会(明治28年[1895]12月9日)がおこなわれた場所である。明治23年(1890)から帝室御用地として宮内省管轄となってから,日清戦争戦勝祝賀会や日露戦争祝捷東郷大将凱旋大歓迎会(明治38年[1905]),各勧業博覧会などさまざまな国家的諸行事をとりおこなってきた。

『新撰東京名所図絵』第二編「上野公園之部・下」(明治29年[1896],東陽堂)には,「征清捕獲品陳列之図(不忍池旧馬見所跡の前)」の絵図(写真上の位置関係)と説明がある。それによれば,明治29年4月25日に樺山資紀がみずから祭主となり,戦病没者を追悼し,松を植えたことが記されている。絵図には,捕獲した清国軍艦「鎮遠」の錨2つと,台湾新竹地方の竹,そして「栽松の碑」が描かれている(巨弾10発は描かれていない;絵図の松は残っていない)。現在は「栽松の碑」だけがフラミンゴ柵の南にひっそりと立っている。碑文は以下のとおり。

栽松の碑(樺山資紀)今茲資紀。祭台湾澎湖島之役/戦死病没諸子之霊,於不忍池/畔。因為紀念栽松。亦欲諸子烈/操與松不朽於千歳也。/明治廿九年四月廿五日 祭主 伯爵 樺山資紀/祭典委員 角田秀松/水野遵/山本正脩/宮崎憲之/大久保利武(/は改行を表す)

旧馬見所とは,明治17年(1884)〜25年(1892;明治20年[1887]説もあり)まで不忍池で開催していた競馬の観覧席(馬見所)がこのあたりにあった名残。

現在,不忍池北側半分は上野動物園内。それにしても,現存しているか不安であったが,見つけて『新撰東京名所図絵』の絵図と照らし合わせることができたときは心中小躍りした。600円(入園料)払った甲斐があった。

ちなみに,鎮遠の錨2つは現在,中国人民革命軍事博物館で展示されている。

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この時期の写真(「征清捕獲品」のうち「鎮遠」の錨と巨弾10発が写されおり,「台湾新竹地方ノ竹」は角度のせいか見られない;ミツカン水の文化センターHP:http://www.mizu.gr.jp/index.html)。

「“鎮遠”艦鉄錨回帰記」(中国語):http://cpc.people.com.cn/GB/64162/64172/64915/5787321.html

「北洋出師鎮遠号鉄甲艦鉄錨回帰記」(中国語):http://mil.news.sina.com.cn/2004-12-21/2240252710.html

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