崇徳三年档:五月十日参加者は6名。五月九日(201L1)から五月十一日(204L5)まで。

Jasaktu郡王の使者とBingtu王の来京,鑲紅旗MalahiらがSahaliyan Ulaに出征した時の案件,正藍旗のSuihedeの案件,鑲黄旗のŠušu・正黄旗のTakjuらの案件,ダ鞠魎の李天貴ニルの案件,盛京城から遼河までの道の補修などを読んだ。

baime jihe 頼ってきた/hūfun 雑糧粥;大麦を煮た,雑穀の粥。消化が良い(N)/giyangnabumbi 説明させる

季永海・劉景憲『崇徳三年満文档案訳編』(遼瀋書社,1988年)では,北京図書館所蔵の青焼きを使用しているが,原本は同じ中国第一歴史档案館所蔵のものである。しかしながら,『訳編』では誤訳が少なくない。

haha be dahara sunja yan weile(男丁を随える五両の罪;随丁五両の罪):季永海氏によれば,天聰四年に随丁銀制度が成立したというが,内容は不明である。(N)

盛京城から遼河まで道を修理する時に出す人数について,「八家の披甲からはじめ,一niruの各六十披甲,三順王の甲兵を全て出して」は,booi niru+各niru(ごとに60披甲)+三順王の甲兵だとしたら,相当な人数となる(N)が,いかがであろうか。

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上は今日の研究会より,小生の気になった部分のみを抽出。Nは楠木先生の発言であるが,もし誤認があれば,その文責は小生自身にある。

参加希望者は、筑波大学・楠木賢道先生(kusunoki@histanth.tsukuba.ac.jp)まで。「満洲語史料を利用した清朝史研究を志すものにとって、入関前の満文档案史料をテキストとして満洲語読解力を養成するとともに、清朝史の基本知識を習得することは肝要なことであると考える。一人でも多くの参加者が現れることを期待する次第である。」(『満族史研究』第5号、2006年9月、184頁)とは、楠木先生(N)の言葉。

次回は,10月6日(土)午前10:00から12:00まで。