4dec5f7c.jpg

参加者は8名。七月五日の一部(253L1〜254L6)と七月六日の途中(257L8)から七月七日(263L5)まで。

内容は、鑲藍旗のKamcihaとSeheiがSahaliyan Ula(ここではアイグンを指す)に出征したときの処罰の案件、¬惴鼎Tumetで公課を送りに来たjalan i jangginらへの賞賜、Muhutu貝子の妻を送ってきたJalaitのGuru Taijiへのもてなし、だ仂訶腓ら帰順したばかりの沈志祥の属下が大量に逃亡したことに対する、太宗ホンタイジの旨と沈志祥の返答など。

特に、い砲弔い討蓮▲曠鵐織ぅ玄身が、帰順以降の沈志祥の属下に対して、出征や清国内で疱瘡が流行ったりしたので、慈しむ時間がなかったことを反省するとともに、これから漢人の国(明国)を従わせたら、もう逃げる場所がなくなるから、よく考えるようにとメッセージを出している。

写真は、档案に記された「ume(書くな)」の文字。これが書かれた場合は、基本的に実録には載せられていない。

次回は3月15日(土)午前10時から正午まで。

3月1日(土)は諸事情により中止となりました。お間違えないようにお願いいたします。

2月27日(水) 追記

----------------------

参加希望者は、筑波大学・楠木賢道先生(kusunoki@histanth.tsukuba.ac.jp)まで。「満洲語史料を利用した清朝史研究を志すものにとって、入関前の満文档案史料をテキストとして満洲語読解力を養成するとともに、清朝史の基本知識を習得することは肝要なことであると考える。一人でも多くの参加者が現れることを期待する次第である。」(『満族史研究』第5号、2006年9月、184頁)とは、楠木先生(N)の言葉。