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日本最初のカフェ「可否茶館」は、明治21年(1888)4月13日、東京下谷区上野西黒門町2番地に開店した。

創業者は鄭永慶(1859-1895年)。もと長崎唐通事の家系で、先祖は国姓爺合戦で知られる鄭成功(1624-1662年)の弟・田川次郎左衛門(のちに七左衛門)であるという。

当時の日本は、文明開化の全盛期であったが、鹿鳴館での高級官僚らの表面上だけの西洋文化の導入にあきれ果てたエール大学留学経験をもつ鄭永慶は、庶民や学生・青年のための社交場、知識の共有の場、情報交換の場としてのカフェの開店を決意した。

カフェは、市民による近代民主政治の出発点でもあった。

可否茶館は、本郷の東京大学を下った場所に位置し、トランプ・碁・将棋、新聞・書籍や化粧室・湯殿・ビリヤード場を併設していたが、そば1杯8厘〜1銭の時代に、コーヒー1杯1銭5厘(ミルク入り2銭)で提供していた。しかし4年後には閉店している。

本格的なカフェの誕生は、同じく日本がデモクラシーを迎え、都市住民の文化が花開く、四半世紀近く後の1911年のカフェ・プランタン開店を待たなければならず、可否茶館の誕生は時勢が早すぎたといえよう。

写真は、可否茶館があった場所。

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小生は2005年10月に、日本大学通信教育部の講義で可否茶館をとりあげている。当日の講義にかんしては→こちら