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2010年8月25日に踏査。

興城古城内延輝街に位置する。明崇禎二年(清天聡三年/1629年)に建てられた。一時期、崩壊の危険性から解体されて文廟に置かれていたが、近年修復してもとの場所に立て直された。写真奥には族弟・祖大楽石坊がある。

祖大寿(不明〜1656年)は、字を復宇、寧遠衛(興城)の生まれ。もとの名を祖天寿といい、「祖家軍」と称される軍閥を率いて遼西地域に駐した。崇禎四年、大凌河城戦役で籠城するが、糧食が尽きたため清太宗ホンタイジに投降した。しかしそのまま離反。崇禎十五年(清崇徳七年/1642年)に捉えられ再び投降した。

石坊は、明末の政局が不安定な時期、祖氏離反を恐れた崇禎帝により、祖大寿及び彼の先祖が、明朝のために尽くしていることを褒め称えるために建てられたと伝えられる。

実際には、刻まれた文字と祖大寿の戦績図の意味する内容が興味深い。