490133042X白倉伸一郎『ヒーローと正義』(寺子屋新書,2004年6月)。本書はマニア向けの個別の作品論でもなく,メイキング的な裏話でもない。

私自身,そもそも近年感じていたことは,1990年代後半以降の「ヒーローもの」が,以前の同シリーズとフォーマットで大きく異なる点である。それに対して相応の情報を与えてくれるのが本書である。

私たちが知る「ヒーローもの」とは,「青年(たち)が仮面のヒーローに変身し,正義のために,悪の怪人・怪獣をやっつける」内容。しかし形而上的な抽象論や是非論の次元でのフォーマットはマンネリ化してメッセージ性を失い,チープな「正義」は限界をむかえる。1980年代には「ウルトラマンシリーズ」や「仮面ライダーシリーズ」が終了した。ほぼ同時期「スーパー戦隊シリーズ」でさえ打ち切りが検討されたという(特に「地球戦隊ファイブマン(1990年)」から「恐竜戦隊ジュウレンジャー(1992年)」の頃)。

本書によれば,永遠の定番のように思われるフォーマットの転機は1995年の地下鉄サリン事件,1997年の酒鬼薔薇聖斗事件,2001年9月18日のアメリカ同時多発テロ及びその後の対テロ戦争にあるという。わかりやすい「悪役」の登場,簡単に人を殺してしまう少年,そして小さくて一方的な「正義」。いわゆる平成シリーズといわれる「ウルトラマンシリーズ(16年ぶりの「ウルトラマンティガ」[1996年]復活)」や「仮面ライダーシリーズ(10年4ヶ月ぶりの「仮面ライダークウガ」[2000年])」,そして「スーパー戦隊シリーズ」などが注目されているが,それは懐古的な復活とはほとんど関係はない。注目されているのは作品の完成度の高さであり,これは「ヒーロー」や「正義」という普遍的に用いられる言葉をアプリオリなかたちで垂れ流すことなく,1年の作品のなかで視聴者と制作者,子どもと大人が一緒に考えていこうとしているからにほかならない。

個人的な興味から言えば,私の研究テーマにもつながる「わたしたち」と「あいつら」の二次元世界と第三ファクターとの絡み,また「世界の境界」や「グレーゾーン」に関する記述は,私自身の幼い頃の記憶を再構築してくれる。また「ヒーローもの」は,よく「昭和もの」「平成シリーズ」などと年号で区分されることが多いが,ちょうど冷戦終結の時期とも重なるところもあり,歴史学的に「継承」と「断絶」を考える上でのひとつのケーススタディの材料として本書を読むことも可能であろう。

少なくとも日本の「ヒーローもの」の根源は日本神話と言われるが,その映像化のプロットはアメリカ映画にあること,それを現在の感覚で意識し越えようと試みている部分が読み取れることに,本書の価値のひとつを見いだすことができる。

子どもというのは色々な面で正直なので,うわべだけでおしきせな対応をしているだけでは,すぐに見破られ飽きられてしまう。そして意味の通らない「正義」はバカにされる。結果的にそれが視聴率や玩具販売に直接結びつくから,制作側にとってみればいちばん厄介な分野であろう。そういう意味では,媚びることなく子どもと正面から向かい合わなければならず,さらに緊張感を持続的に保った関係が必要なのだろうと考える次第。

栞代わりに挟んでいたレシートからは2004年8月27日購入と分かる。新刊ではないが,訳あって以前の本を読み直している。

著者の白倉伸一郎氏は1965年生まれ。「仮面ライダー響鬼」(2005年)後半メインプロデューサーとしての大幅路線変更,「仮面ライダーディケイド」(2009年)の最終話と映画告知"騒動”により,特撮ファンの間で知られる“カリスマ”プロデューサーである。そういう意味でも本書は注目されているようだ。

A Study around...(白倉氏のブログ):http://cron204.seesaa.net/