20120827beizhen01北鎮市は21-25度,雨ときどき曇。

錦州から120km離れた北鎮市の5ヶ所を踏査した。

朝7時に朝食を済ませると,駅隣の錦州バスターミナル(锦州汽车客运站)へ。8時出発,2時間程で北鎮バスターミナル(北镇客运站)に到着。帰りの切符(15:10発)を先に購入(最終は17時10分発)してから市内へ。

北鎮市は遼西回廊の東端にあり,東の瀋陽から200km,西の錦州から120km離れている。現在は鉄道路線から外れて小さな地方都市になってしまったが,明代には広寧と称され遼東都指揮使司に属した東北最高の軍政の中心地であった。1622年(天命七)に清太祖ヌルハチが広寧を攻略すると,周囲にある40余りの城堡がみな降伏したという。これによってヌルハチは事実上遼東を支配下に収めることになる。

現在の人口は53.3万人で満洲・回・漢など19民族が居住している。一番多いのは満洲族で約2/3を占める。また石廷柱3兄弟,年羮堯らの出身地でもある。

市内から2km離れた北鎮廟の往復のみタクシーを利用。途中,“北鎮満族高中(高校)”校門に満漢表記を見かけ写真を撮る(写真上)。2年前に見かけた某満族自治県の役所に比べると,こちらの満洲語表記はきちんと意味をなしている。

20120827beizhen03李成梁石坊は周囲を"文化街”として取り壊して改修中のようで,工事用の柵がギリギリまで石坊に迫っていた(写真下)。鼓楼から広寧城址へは歩いて向かったが,タクシーの降車場所を城址にすれば導線的によかったとプチ反省。そして環状を東側に歩いて戻る途中で瀋陽から来る道,さらに明代の総兵衙門跡(現・北鎮市人民政府)を確認しバスターミナルへ戻った時は13時半をまわっていた。近くで昼食をとって帰りのバスに乗り,17時10分頃錦州のホテルに帰ってきた。

行動中は小雨に降られ,環状東側では舗装されていない泥濘を大型トラック(市内に入れないため迂回している)を避けながら歩いたが,踏査場所が5ヶ所と多くなかったため,急かされたものとはならなかった。ただ北鎮廟で運転手を待たせつつ(「見るところないから10分で見終わるから」という運転手に30分は必要と説明しながら)1時間近くも石碑を見ていた部分は気が引ける。なおこの日は電羊齋の齋主と終日一緒の行動。