20121108suidoubashi朝8時過ぎまで,市ヶ谷のマクドナルドでシミュレーションをおこなった。午前のルーティンを終え水道橋へ。

500講堂。第22回は「国家と民族のとらえかた(2)」。

内容は,19世紀フランスの作家ドーデの作品『最後の授業』から「言葉」「国家」「教育」「民族」の問題を考えるもの(2年前のヴァージョンアップ版)。今回は,日本における「最後の授業」の受入と教材化について。

まずは,前の週におこなった質問や感想などをまとめたものを全員で確認(写真)。高校生の時に(教科書で習ったのではなく)先生から話を聞いて「オチ(本人の言)」も知っていると書いたものが1つあった。これを軸に使わせてもらうこととした。さらに,先週学祭休みだった時に『最後の授業』について自身で調べた学生がいたか聞いてみたら,いたのでちょっぴし嬉しかった。

講義の内容は,‘本における『最後の授業』の翻訳,∋劼匹盡け『最後の授業』と「再話」,9餮豢戯爐箸靴討痢愃埜紊亮業』(戦前)。

「愛国教育」「国語愛護」などと,私たちが知るキーワードが質問や感想に書かれていたから,今回もそういう眼で講義に望んだ学生が多かったことと思われる。しかし,学んだのは「再話」という名前の「改変」という技術(三人称=「語り」のスタイル&部分的に解説を挿入するもの)。1920年代後半に初めて教材として採用(その後副教材としても)されるが,これも「軍国主義的」な「愛国教育」とは時期が10年程ずれる。実際には,大正デモクラシーからの流れと当時(第一次世界大戦後)のヨーロッパ社会を背景とした「愛国」(詳しくは授業でw),標準語教育としての「国語愛護」を反映したものであった。肩すかしを食った学生もいたのではないだろうか。

準備はよかったが心に余裕がなかった。修行が足りないようだ。やはり有難いお経を取りに天竺まで行かないとダメかな?(*´ -`)(´- `*)srsr