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研究(満族史・清朝史・東アジア史)や講義(歴史学・東洋史・中国語[漢語]・コンピュータ)等の備忘録

研究内容

7月22日(火)

20140722カナダにあるロイヤル・オンタリオ博物館。

ここに研究対象の資料があるのだが,時間的・金銭的に行くことがかなっていない。カナダに留学中の昔の教え子とたまたまSNSで話していたところ,聞けば近所だという。彼女に頼んで資料を手に入れてもらい,夏休みで一時帰国中なので池袋で合流した。

もちろん研究者ではないので,受け取った資料にどれだけ関連するものが入っているのか不明(加えて故宮博物院の企画展開催中でもあったようで,常設展のものと混乱したらしい)だが,近い将来自分がカナダに行きたいと感じられればいいかなと思ってお願いした次第。Lさんありがとう( ´ ▽ ` )ノ

博物館の紙袋がおしゃれ (*´ -`)(´- `*)srsr

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ROYAL ONTARIO MUSEUM(英語):こちら

満族史研究会第29回大会で研究発表

20140531仙台3日目。3時起床。発表準備とレジュメ手直し。9時過ぎにホテルを出て徒歩で東北大学片平キャンパスさくらホールへ。

満族史研究会第29回大会に参加&研究報告(10時〜17時50分)。昨日会えなかった旧知の先生方や院生等と再会。今回はモンゴル関連の発表が多かった。→当日のプログラムはこちら

午後最初は小生の発表。久しぶりの国内での研究発表。総合的な内容,使用する資料は難解,異なるアプローチでの登壇なので緊張した。事前準備済みも予定時間を10分程超過。時間内外で意見や助言を頂いた方々ありがとうございました。早々に活字化したいと思います。大会は60名以上の参加者を得て盛況であった。写真は昼休み時の会議室。

懇親会では旧知の先生方は言うに及ばず,院生時代以来の再会や何故か八王子の絹の道資料館で小生を見かけたという(お互いの名前は知りながら)「初めて」お会いする研究者もいて有意義な時間を過ごした。

翌朝早いのでアルコールは少なめ,二次会に参加せずホテルに戻った。

ほっと一息です (*´ -`)(´- `*)srsr

仙台2日目

20140530-0仙台2日目。5時半起床。翌日の発表準備を進める。同じホテルに宿泊中の研究仲間と10時半に待ち合わせ,東北大学片平キャンパスへ。

東北大学史料館にて常設展「魯迅と東北大学」,構内の魯迅胸像→旧理学部化学科講義室(旧仙台医学専門学校階段教室;写真上)を見学。

そのまま徒歩で南下。企画展「侍が見た東アジア図『大明地理之図』」を見学しようと東北学院大学博物館に入館したところ,細谷良夫先生(東北学院大学名誉教授)をはじめ旧知の先生方や師匠と再会。カラフルな約3メートル四方の地図は見ていても飽きない。博物館実習の学生らによる解説が分かりやすく興味を引きつける。

午後は研究ワークショップ「清朝史研究をめぐる史料と史跡―研究資源の活用と共有に向けて―」に参加。劉小萌先生(中国社会科学院近代史研究所研究員)・張永江先生(中国人民大学清史研究所)と10ヶ月ぶりの再会。細谷先生の報告は自分の研究と深く結びつくこれまでの集大成,劉先生の報告も自分が関わった部分が多い。張先生の報告は近年編纂された「清史」に関わるもので興味深かった。小沼孝博先生(東北学院大学準教授)の説明後,参加者で再び博物館へ。昼前と展示に変化あり。 →プログラムはこちら

20140530-2終了後,細谷良夫先生傘寿の懇親会。久しぶりにお会いする先生方と楽しく痛飲した。

帰りに綺麗なお花を頂きました(写真下) (*´ -`)(´- `*)srsr
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魯迅と東北大学(東北大学史料館):こちら
東北大学史料館(入館料無料):こちら
侍が見た東アジア図『大明地理之図』(東北学院大学博物館):こちら(7月10日木曜日まで)
東北学院大学博物館(入館料200円):こちら

満族史研究会第29回大会(2014年5月31日[土])

満族史研究会大29回大会案内冠省 この度東北大学東北アジア研究センターと共催により、満族史研究会第29回大会を下記のとおり実施することになりました。ご多用とは存じますが、ふるってご参加いただければ幸いです。
 満族史研究会会長 細谷良夫

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満族史研究会第29回大会プログラム
日時:平成26年5月31日(土)午前10時より
会場:東北大学片平さくらホール2階会議室

研究発表機Ц畫娃隠飴〜11時40分
 堀内香里(東北大学大学院環境科学研究科博士課程後期3年)「清代後期モンゴルにおけるアラド(平民)の管理について―ハルハ・セツェン・ハン部中前旗内部の所属変更事案を通して―」
 渡辺健哉(東北大学大学院文学研究科専門研究員)「金・元時代の複都について」

役員会:東北大学片平さくらホール(午後0時〜0時50分)

研究発表供Ц畍紕瓜〜3時30分
 綿貫哲郎(日本大学文理学部兼任講師)「祖大寿一族と「祖家将」をめぐって―明朝武将から漢軍旗人へ―」
 哈斯巴根(北京市社会科学院満学研究所)「清初政治中的質子習慣」(漢語による発表。日本語レジュメ配布)
 中村篤志(山形大学人文学部)「清朝モンゴル統治再考 ―モンゴル語日記史料を手がかりに―」
 (休憩)

自著を語る:午後3時40分〜4時
 河内良弘(京都大学名誉教授)「『滿洲語辞典』の編纂をめぐって」

記念講演:午後4時10分〜午後5時
 烏蘭(中国社会科学院民族学与人類学研究所研究員、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所客員教授)「モンゴル国で新発見の巴杭阿撰漢詩碑文(乾隆十九年)と彼の事績」

総会:午後5時20分〜5時50分
懇親会:午後6時〜8時
 会 場:片平キャンパス生協食堂「さくらキッチン」
 会 費:有職者6,000円、それ以外3,000円(発表者無料)
 ※【後援企画のお知らせ】
 本大会の前日5月30日(金)13時より、仙台市土樋の東北学院大学土樋キャンパスにおいて研究ワークショップ「清朝史研究をめぐる史料と史跡―研究資源の活用と共有に向けて―」が開催されます。なお本ワークショップは、満族史研究会が後援させていただいております。


研究ワークショップ「清朝史研究をめぐる史料と史跡―研究資源の活用と共有に向けて―」(2014年5月30日[金])

アジア流域文化研究所では研究ワークショップ「清朝史研究をめぐる史料と史跡―研究資源の活用と共有に向けて―」が開催される。

東北学院大学名誉教授・細谷良夫先生を始め,先生と長年に渡り共に研究を続けてきた中国人研究者2名を招いた研究報告もおこなわれる。なお,参加希望者は小沼孝博先生(東北学院大学准教授,e-mail:onuma425*mail.tohoku-gakuin.ac.jp [*を@に代えてください])まで事前の申込が必要とのこと。

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研究ワークショップ
清朝史研究をめぐる史料と史跡―研究資源の活用と共有に向けて―

日時 2014年5月30日(金)13:00〜17:00
会場 東北学院大学 土樋キャンパス 8号館3階 第3会議室

プログラム
13:00 開場
13:10 趣旨説明
13:20 特別講演
 細谷良夫(東北学院大学名誉教授)「尚可喜をめぐる諸史料―研究の総括をかねて―」
14:20 報告
 劉小萌(中国社会科学院近代史研究所・研究員)「清朝遺跡考察的新成果―与細谷良夫教授同行―」[中国語]
 張永江(中国人民大学清史研究所・教授)「近年来中国清史研究的動向―以清史研究所的活動為中心―」[中国語]
 小沼孝博(東北学院大学文学部・准教授)「山形・細谷家伝来「大明地理之図」簡介」

主催 東北学院大学アジア流域文化研究所「新時代における日中韓周縁域社会の宗教文化構造研究プロジェクト」(文部科学省:私立大学戦略的研究基盤形成支援事業)
後援 満族史研究会

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東北学院大学ウェブサイトより:こちら
東北学院大学アジア流域文化研究所:こちら

東北学院大学博物館「侍が見た東アジア図 『大明地理之図』」(2014年7月10日まで)

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東北学院大学博物館では平成26年度春期企画展「侍が見た東アジア図 『大明地理之図』」(7月10日[木]まで)を開催中とのこと。

(以下,一部引用)
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今から200年以上前の医師細矢玄俊が描いた4メートルを超える巨大な東アジア図が、東北学院大学博物館において、5月17日(土)から公開されます。四幅の掛け軸は、本学博物館での展観が初の公開となります。

細矢玄俊は京に学んだ山形の医師で、この「大明地理之図」[文化11(1811)年]を描くことで大陸の歴史と地理を理解しようと試みたといいます。

200年前に模写されたこの絵図の元の絵図は、今は所在が不明となっていますので、当時の絵図を彩色した「大明地理之圖」のあでやかさは素朴な驚きに満ちたものとなっています。

4メートル×4メートルの全図の実物をぜひこの機会にご覧ください。

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東北学院大学ウエブサイトより:こちら
東北学院大学博物館:こちら

広島大本営跡

20140207朝7時起床。宿舎の朝食バイキングが話題と友人から聞いたので一度位はと食べてみる。地元食材を使った地産地消のバイキング,美味しかった( ´ ▽ ` )ノ

チェックアウト後,宿舎の近所にある頼山陽史跡資料館,旧日本銀行広島支店を参観し広島城へ。

今年は甲午年,つまり日清戦争(1894年〜95年)からちょうど120年目。その際,広島城本丸は大本営が置かれた場所。建物は原爆で倒壊し現在,礎石だけが残る(写真,奥に天守閣)。また日清戦争中に開かれた臨時第七回帝国議会(帝都東京以外で開かれた唯一の帝国議会)の仮設議事堂が西練兵場に建設された。現在の県庁東館南のコンビニ横に跡碑が立っている。

昼食後に空港へ。雪の積もる中,パイロットが客室まで出向き目視で翼の上の雪を確認し離陸。17時40分過ぎ羽田空港着。

明日は10年ぶりの積雪だという。身体を崩さずに (*´ -`)(´- `*)srsr

広島大学

201402046時起床。宿舎近くのバスセンターより8時半前に広島大学着。

中央図書館で申込済の浦文庫の資料を数点閲覧。研究テーマの幅が広がりそうな資料もあった。その後,紹介された東洋史学研究室(写真は文学部)で鴛淵一先生所蔵資料を閲覧(中心は遼金元)。収穫あり。

14時前に終了。遅めの昼食をとり友人の研究室へ。彼の教育メソッドを見学。18時終了。その後,昨日に続き友人宅で夕食をごちそうになる。有名な西条の美味しい日本酒を頂き21時前に帰路へ。

徳山行きなので乗り過ごさないように目を開けていたが,電車が安芸中野駅で15分ほど臨時停車してる間に夢の世界へ。約25分遅れで無事に広島駅下車。宿舎に戻った。充実した1日となった。

東京同様,昨日と打って変わって昼と日没後に吹雪いた。寒かったね。風邪引き注意 (*´ -`)(´- `*)srsr

広島

20140203資料調査ほかで朝イチの飛行機で広島入り。

地元駅始発電車だと間に合わないので隣駅より羽田行きリムジン。チェックイン&お土産買ってたら離陸5分前。

上海留学時代の友人が車を出してくれて,大和ミュージアム(呉市)と厳島神社(広島市;写真)をまわった。思い出話に花を咲かせつつも,彼の中国語教育の最前線での話しを聞き勉強になることも多かった。夕方は西条の友人宅で牡蠣をしこたまごちそうになった。奥さんも当時の仲間なので昔話で盛り上がる。21時半過ぎの電車で広島市内へ。真っ暗ななか,広電でホテルへ。

「日本三景」を制覇( ´ ▽ ` )ノ

しかし,初の広島滞在なのに21時過ぎまで西条でごちそうになって広島市内へ帰るとはw よくぞ迷子にならずチェックインできたものだw

おやつや晩飯は好きな牡蠣づくしでした (*´ -`)(´- `*)srsr

1ヶ月ずれてる

20130902帰国すると真っ先に変化すること。パスポートの存在を気にしなくなる。向こうでは絶えず確認するけど。なくすと色々めんどいのでw

月曜日は早稲田大学會津八一記念博物館に行ってきた。「池部政次コレクションの中国明清の書画」を見るため。ところが当該展示開始日の9月24日を8月24日と空目。まだ準備中だった。現地で気付くとか珍しいけど,たまにはこんな日があっても悪くないと思ったw

「池部政次コレクションの中国明清の書画」
期間:9月24日(火)〜11月9日(土)
会場:早稲田大学會津八一記念博物館1階 企画展示室
時間:10:00〜17:00(入場は16:30まで)
閉館日:日曜祝日
入館料:無料
HPはこちら

早稲田大学(院)の神谷さんの話では,書画以外にも清朝内務府のものと思われる満文档案(満洲語の公文書)も展示されるとこと。書体からはおそらく清朝末期のものらしい。しかし,早稲田大学で満文档案が見つかるのも珍しいのではないか。

偏頭痛が続く。何とか治まって欲しい (*´ -`)(´- `*)srsr

日本帰国

20130829今朝のJL860[北京0825-成田1300]で帰国しました。北京は早朝肌寒かったのに日本は残暑厳しい。聞けば暑さがぶり返したとのこと。

北京蟹島での学会終了の翌日は,香山万安公墓(写真上)にある王鍾翰先生のお墓参りに30名程で行ってきました。

世界的に著名な清朝史・満族史研究者の王鍾翰先生には,私自身,学会以外で私的にお会いしたことが2回ある。一度は2002年の留学時で,劉小萌(中国社会科学院近代史研究所)先生と2人でご挨拶にうかがったとき。もうひとつは,1992年末のことで,当時留学中だった自分は翌年度の留学先を中央民族大学にしたくて受入先の先生を捜していたところ,復旦大学の邢蒂蒂先生から同校の趙秉坤先生を通じて王鍾翰先生を紹介された時にお会いした。ただし,当時の自分は,日本の大学を通じた留学でなく,普通進修生だったため(小生の大学入学は中国留学の帰国後),高級進修生以上の受け入れでない(「北京の別な大学に在籍しながら通うのは構わない 」ともお返事頂いた)と王先生のもとで勉強することができないシステムだった。当時は夢叶わずだったが,研究者の末席に連なる身となった(もちろん,帰国後に日本大学に入学して学んだことを誇りに思うが)今から考えて見れば,若気の至りともいうべき大胆な行動だった。

20130829午後,空港近くのホテルに移動。布団がふかふかだったのと,テーブルが広くて(写真下)原稿が進んだのが嬉しかった。一泊だけではもったいないけどしょうがない。帰国前日に空港近くに宿泊したのは留学中も含めて初めてのこと。

自由に使える時間も限られるけど,何とか仕上げないと。またいつものお願いするかなw (*´ -`)(´- `*)srsr

以下,今回の中国行きでお世話になった会社など。
☆BlueSurface(インターネット・初):こちら
☆エクスプロア中国トラベル(列車の切符手配・初):こちら
☆GLOBAL DATA(海外wifi・2度目):こちら
☆skygate(海外航空券&旅行保険・初):こちら
☆じゃらんnet(ホテル予約・常用):こちら
☆agodaホテル(ホテル予約・2度目):こちら
☆北京中安賓館(北京駅近くのホテル・初):こちら
☆北京中協賓館(学会初日のホテル・2度目):こちら
☆蟹島(学会2日目と3日目・初):こちら
☆北京国都大飯店(北京首都空港近くのホテル・初):こちら

紀念王鍾翰先生百年誕辰曁清史、民族史国際学術研討会

20130827開幕式後,北京空港近くにある蟹島という土地(島ではない)に事実上軟禁状態となった月曜日午後。参加者はしおり(会議手冊)によれば130人程。うち台湾を含めた海外参加(日本・韓国・香港・アメリカ)者は約20名。

翌27日(火)から本格的に学術報告会が始まった。午前は大きな報告が2つ(10人)。午後は14時半から18時まで,休憩を挟んで4グループに分かれてのワークショップ(分組討論)。28日(水)も午前は8時半から12時まで休憩20分を挟んでのグループワークショップ。昼食を挟んで14時半より16時40分まで合同での学術報告会(10名)。17時から討論内容の報告(4名)と閉幕式。

学術報告会やグループワークといっても,事前に知らされていた人はともかく,それ以外は自由に話す部分が多い討論会であった。また学会の雰囲気も亡くなった王鍾翰先生関係者の同窓会の一面をもっており,2年前の北京での学会に比べても気軽な気持ちで臨むことができた。また自分自身,時間に追われた日々だったので,こんなにゆったりした時間を過ごせるのも久しぶりだったりする。細谷良夫先生(東北学院大学)や劉小萌先生(中国社会科学院近代史研究所)の個人指導も少しばかりだけど受けられたし。

20130828第3組に分けられた自分は,27日午後後半で姜相順氏(瀋陽故宮博物院)と共同司会を担当。元来,ボキャブラリー不足なもので司会としては不出来だったと思う。それ以上に驚いたのが,突然発表するように言われたこと。申請時,趙令志氏(中央民族大学)より「「発表なし」なので気軽に酒を飲みに来い」と連絡を受けたが,ここに来てこの流れ,とはいえ,何となく雰囲気を察していたので,手元にあった論文原稿と先週の民安小区での踏査をもとに急遽作成した「安南黎氏と北京安南営」と題した報告をおこなった。北京東直門内の安南営の存在(民国期以降まで存在)どころか安南人が八旗漢軍に編入されたことを知らない研究者が多く,報告としての手応えはあったと感じた。

ということで,予定になかった司会と発表をこなしましたw 複数名から「2年前より中国語が上達したね」と声を掛けられたけど,心の支えがあると違うのかな (*´ -`)(´- `*)srsr

8月26日(月)

20130826-11週間ぶりに日本語を話した日曜日。この日は学会参加のため早朝,北京駅前から中関村南大街(魏公村)へホテル移動したのみ。なので,少し原稿に集中できた。

月曜日は午前9時から「紀念王鍾翰先生百年誕辰曁清史、民族史国際学術研討会」紀念会及学術研討会開幕式(主催:中央民族大学,於・中協賓館)。いちおう国際学会なので招待された外国人研究者は自分を含めて机を囲った場所に席が用意されてた。150名以上の参加者。懐かしの先生方と再会。

会場で2年半前に台北でお世話になった葉高樹(国立台湾師範大学)の修士生だった劉さん(現・国立政治大学博士生)と思いがけず再会。この学会のためというよりは,調べものがあったようで,突然の再会に二人揃っておどろいたのなんのw

20130826-2開幕式が終了し空港近くの蟹島に移動。軟禁状態で学術研討会がみっちりおこなわれる。というか,知らない間にグループワークの“支持人(司会)”になってるんだけどw まあいいけどw

それにしても羊肉は美味しい。iphoneに入れてきたモンゴル民族音楽でも聴こうかな (*´ -`)(´- `*)srsr

---過去の記事---
☆葉高樹先生(国立台湾師範大学)より:こちら

故宮博物院:中国北京市

20130824-1北京は16-35度,晴ところにより曇。

月曜日に来てから体重が3キロ落ちた。見た目変わらないけど。いちおう歩きと食事の成果(明日から戻るだろうw)。そんな土曜日。

片道428キロの興城を日帰り電車(片道5時間半)で往復した翌日は,10年ぶりに故宮博物院を訪れた。言わずと知れた中国最大の観光地の紫禁城である。

20歳の初来館以来,十数回訪れているけど,今回は観光でなく大学講義用で使う写真の撮影(撮り直しを含む)のため。既存の写真集やら使おうとしても,掲載されないディープな場所の写真が必要なのです。

20130824-3ホテルを7:00過ぎに出て,9路バス天安門東で下車。天安門広場は昨年度からセキュリティチェックが必須。それと無作為に身分証提示を求められる。また,長安街をくぐり天安門に入ろうとする際にも簡単なセキュリティチェックがある。天安門周辺は通過するのも少々めんどうだ。その天安門は改装中(写真上)。

開館8:30に合わせ,故宮のキップ売り場へ。門票(チケット)60元。もうすでに大勢の人がいて人酔いで気分がすぐれない。故宮入館でまたもセキュリティチェック。どうやらライターを中心に没収しているようだ(天安門広場・故宮・国子監ともに)。太和殿の玉座は閉じて見られなかった(写真中)。展示は見ず,ひたすら必要な場所の写真を撮りまくったら4時間も館中にいた。写真は授業(パワーポイントや配付史料)でうまく生かせたら嬉しい( ´ ▽ ` )ノ

20130824-2それから,故宮訪問の目的はもうひとつ。授業で指示棒代わりに使ってた清朝皇帝画の扇子を再購入するため(写真下)。これは珍しがった歴代の教え子たちによって見事なまでに壊されてしまったからw

午後は国子監へ。観光客で激混みの神武門前バス停を避けて離れたところから5路(鼓楼下車)。北京名物の炸醤麺を食べて10年ぶりの国子監へ。こちらも授業用の写真を撮影して,60路で北京站口東で下車してホテルへ戻った。帰舎後,国際学会のプログラムがメールに添付されてた。自分は2日目午後の某グループワークの司会になってたことを初めて知るw

少し疲れたかな (*´ -`)(´- `*)srsr

故宮博物院(中国語簡体字):こちら

祖大寿墓碑:中国遼寧省興城市

20130823-1興城は19-30度,晴れ。

待ちに待った2年ぶりの興城行き。というのは最近のニュースで祖大寿の墓碑が発掘され,文廟に移されたと聞いたからに他ならない。祖大寿は研究したいと考えつつ,史料を集めてばかりで進まないのが現状。とはいえ,遼西地域と八旗漢軍の成立を解く上で外せない人物である。

23日金曜日は3時起床。K1113次[4:55北京-10:32興城]で向かう。5時間半は普段の睡眠不足を補うかのように眠りこけた。駅からは歩いて10分で旧城内,そこから3分程で文廟に到着。

順治13年(1656)に死去した祖大寿は北京清河附近の永泰村に葬られたというが,故郷の興城にも墓地が作られた。墓は文化大革命中に破壊され,墓碑は地中から壊れたまま見つかったという。バラバラなまま文廟に運ばれた。大きさは最大で60cm×40cm×40cm位であった。文廟の人に聞いたところ,修復作業をしようにも中途半端に残されているので,現在どうするか保留中とのこと(写真上)。

20130823-2楊蔭芳[纂修]『興城県志』(1927年)の「鎮国将軍祖大寿墓碑文」には以下のようにある。「惟順治十三年八月十五日,皇帝遣永平府知府羅廷嶼,諭祭故精奇尼哈番品級祖大寿之霊。曰:惟爾持身敬慎,秉性成老,方且蒙優。忽焉告殞,爰頒祭葬,用表哀悰,永奠佳城,霊其来享。歳次己亥三月吉旦立」。

最初に見つけた石塊は「順治十三年八月十五……皇帝遣永平府知府羅廷……諭祭故精奇尼哈番品……慎,秉性」で,日付と派遣された知府羅廷嶼の名前から祖大寿のものと確信した。次は西側にある石塊で「老,方且……佳城,霊……三月」とあった。少し離れた西の木陰に「級祖大寿……優。忽焉告殞……享……吉旦」と「祖大寿」と書かれたものを見つけた(写真下)。

ちなみに墓碑から満洲文の存在を確認することはできなかった。合璧でないことは確認済みなことから,満洲文は背面にあるのか,または別に満洲文の墓碑があるのか,はたまたいずれでもないのかは不明である。なお,写真のとおり祖大寿墓碑は野ざらしで,子供が乗って遊びながら小生の作業を物珍しそうに眺めていた。また周囲に説明板はなく,観光客は石碑の周囲を飾る龍の文様の話に終始するのみであった。

帰りの電車の都合で,滞在時間が4時間程しかなく,他には石坊と前回改修中だった薊遼督師府を見学して時間切れ。また鐘鼓楼と南関が改装中。2590次[15:02興城-22:00北京]はほぼ定刻通りに北京に到着した。

紆余曲折な運命を辿った人物に魅力を感じることが多い。人間臭くて謎に満ちた,理解するのが簡単でない人物。そこに研究の醍醐味があるかなw (*´ -`)(´- `*)srsr

☆以前の記事☆
☆八旗漢軍旗人・祖承勲の石碑:中国北京市海淀区:こちら
☆興城古城:中国遼寧省興城市:こちら
☆興城文廟:中国遼寧省興城市:こちら
☆祖大寿石坊:中国遼寧省興城市:こちら

8月22日(木)

20130822-1北京は19-30度,曇。

北京市内を廻った1日。ホテルから地下鉄駅へは,北京駅(西側が入口;しかも混雑)よりも建国門まで10分程歩ける便利な抜け道があることを発見。2号線(環状線)と1号線両方に乗れるということで今朝試した。同じ建国門に向かう流れもあり時間も10分位なので,日本で家から駅まで歩く位のイメージでいると便利かもしれない。

鼓楼大街で昨年12月開業の8号線に乗り換え安華橋下車。2002年の留学時のアパート(北京市朝陽区安貞里三区)を見に行った(写真上)。建物の外観は変わらずだったが,1階入口に番号式ドアロックがついていた。近所のデパート華聯商厦も健在で,さらに食堂やセブンイレブンが増えていた。いいな(*´д`*)

安貞里から731路バスで藍旗営。開店時間少し前に万聖書園へ。また引っ越してた(同じ建物の東端)。その後,375路バスで成府路で所用を済ませ,再び375路で五道口へ。某H橋大学のKさんによく連れられて来たカツカレーのお店「ばんり」で昼食。懐かしい味だったw

20130822-2731路で中関村下車し海淀図書城と海淀図書大厦に立ち寄る。帰りは海淀村西から608路で前門西下車し,前門でお土産を購入(写真下)。前門から126路で北京站口東下車。北京の中華ファーストフード「李先生」で夕食をとりホテルに戻った。

何も贅沢してないのにお金が減っていく。前回も書いたけど食費が高騰してるせいかも。なぜなら,これだけ北京市内を移動しながらすべてバスと地下鉄を利用していて,一度もタクシー乗っていないし(山海関で乗っただけ)。書籍も3冊しか購入してないし。

半年経ちました。いつも気に掛けてくれてありがとう。帰って時間ができたらご飯食べましょう。お土産も買いましたよ。待ってます (*´ -`)(´- `*)srsr

山海関「天下第一関」:中国河北省秦皇島市

20130821-a北京は17-31度,晴れ時々曇。
山海関は22〜29度,曇。

明清交替の「天下第一関」山海関(河北省秦皇島市)に日帰りで行ってきた。8月21日の水曜日。実は初踏査。

4時起床。6時前に北京駅に到着。行きは動車(新幹線)D29次[07:00北京−09:32山海関](写真上)。この動車,北京から山海関までは在来線と同じ線路を利用するため,150キロ位しか速度を出さないのが残念。つくばエクスプレスとあまり変わらない。

20130821今回の北京行きで,一番準備不足なのが今日の山海関。まる1日の参観(9:30〜19:30)を考えていたので何とかなると思っていたため。駅前で地図を買い忘れ,突然の雨に降られながら,歩いて10分ほどで山海関城に到着。参観共通券(通票)は110元。清朝史・満族史を研究して15年,ようやく「天下第一関」に立てた(写真中)( ´ ▽ ` )ノ

山海関長城博物館を見学して,4キロ先の老龍頭に向かう。無謀にも歩いて向かおうと考えるが,途中運良く三輪タクシーに声を掛けられて乗車。10分程で到着(10元)。こちらも参観共通券が90元。途中,日本人女性3人組を見かけた。入国後,初の日本人発見!w そういえば日本語しゃべってないなぁw

20130821-1長城最東端で海に洗われる老龍頭(写真下)。21歳の時に長城最西端の嘉峪関(甘粛省)にも行ってるから,8000キロを制覇したことになる……かな? 今夏(もう秋だけど)初のビーチが老龍頭とはw

タクシーを15元で捕まえて山海関駅に着いたのが14時半頃。予約した動車は5時間以上後(19:48)のなので,別な列車に切り替えて(運良くあった),D102次[15:55山海関-18:31北京]に乗車。昼飯を食べてないので,北京駅ナカの吉野家で済ませ,ホテルに戻った。

老龍頭の海神廟で仕事運と健康運(と金運)が上がるようお願いしておきましたw (*´ -`)(´- `*)srsr

最後に一言。中国有数の観光地は人が多すぎて酔うw

☆山海関長城博物館:こちら

8月20日(火)

20130820-0北京は21−29度,晴れ。

現地時間(日本マイナス1時間)5時起床。6時半朝食,7時過ぎ出発。今朝のニュースで遼寧省撫順市清原満族自治県で水害とのこと。

中国人民革命軍事博物館へ。免費参観(無料;ただし身分証提示)なためか開館前から団体旅行者がたくさん訪れていた。昨年10月より建物全面改装中につき展示は野外の6つのプレハブ(中央兵器棚〜5号兵器棚)のみ。

目的は「鎮遠の鉄錨」(写真上)。もと中国北洋艦隊の主力艦としてドイツで建造された鎮遠は,排水量7300屯(当時の東アジアで最大級),日清戦争で日本を苦しめるが鹵獲され日本海軍に編入された。明治29年[1896]4月25日,上野不忍池畔でおこなわれた戦病没者追悼の際に「鎮遠」の錨2つが展示された。戦後,この鉄錨は中国に返還された。そのひとつ。

20130820-1その後,地下鉄で東直門まで行き,民安小区(写真中&写真下)へ。民安小区は,もと安南営と呼ばれた場所。乾隆五十四年(1789)に黎維祁(黎朝最後の皇帝)が中国に亡命し,翌年北京に移された際,従った169名が1佐領に編成されてここに住まわされた。後年,安南人はベトナムに帰還し,ここに子孫は残っていないが名称だけは民国期まで引き続き使われていたようである。詳しくは,綿貫哲郎「安南黎氏佐領編設始末考」(『史潮』新64号,2008年)を参照のこと。

20130820-2続いて香餌胡同へ。ここは続順公沈氏の邸宅があった場所。さらに歩いて三聯書店へ。遅めの昼食をとった後,快104路でホテルに戻り爆睡。気づけば18時過ぎ。だいぶ歩いたので疲れたらしい。北京は広い(*´ェ`*)

夕食は建国門近くの渝信川菜(長安店)。少しだけ雨に降られたが,久々の中国での四川料理。帰りに気づいたけど,今のホテルの場合,地下鉄1号線に乗ろうとするならば,北京駅まで出るより建国門まで歩いても時間はそれほど変わらない。

中華料理は1人だと頼める量に限りがある。しかも寂しいw 1人用「定食」は中国では定着してないので。中華料理は大勢で囲むのがいいよね (*´ -`)(´- `*)srsr

☆鎮遠に関する以前の記事(「征清捕獲品陳列」跡[上野動物園西園内]:東京都台東区不忍池;2007年9月8日):こちら
☆鎮遠の鉄錨:こちら
 近代戦争館(中国人民革命軍事博物館内):こちら
 中国人民革命軍事博物館:こちら
☆森 まゆみ・陣内 秀信「現代都市の「里という居住地」とは」(『水の文化』15号,2003年10月)22頁下の写真→こちら
 機関誌『水の文化』:こちら
 ミツカン水の文化センター:こちら
☆渝信川菜(長安店):こちら

北京到着

20130819今日から中国滞在。仕事なんだけど,ほかに仕事もってきているとか忙しさを実感。ゆえに有意義に過ごしたい。そんな19日月曜日(・◇・)ゞ

3時起床。地元駅まで歩いて始発。5時30分,聖蹟桜ヶ丘からリムジンバスで成田空港(7時15分到着)。早朝便だけなのか,出発2時間以上前なのにカウンターで搭乗手続きが可能だった。昨年同様に海外wifiを借りてイミグレーションを通過したのが7時40分。朝食後にラウンジへ向かうも,成田は入れるのがメンバー限定なのね (´Д⊂)

10時45分発のJL863は若干遅れたものの定刻通り13時50分到着。機場快軌(空港エクスプレス;25元)で東直門で2号線に乗り換え北京站へ。駅傍のホテルにチェックインしたのが16時半前。

北京は21−34度,晴れ時々曇。中国は日本マイナス1時間。

20130819-217時前に北京站西から104路公交車(バス)で王府井へ。用事を済ませ夕食を食べて19時頃ホテルに戻ってきた。フロントの小姐も友好的だし,好きな羊雑湯(写真下)を食べたので満足w それにしても食費が高騰してるな。

今回は,ここ2〜3年急激に変化してる中国北京の流れに取り残されないよう,準備をして乗り込んだ。例えばネット事情。ライブドアブログは写真だけが表示されず,ほかに繋がらないサイトも多いので対応済。また北京空港から市内までの移動。リムジンバスでは遠回りになり時間がかかり,タクシーだと高額なので,初めて機場快軌を利用した。東直門での乗り換えも不便に感じなかった。それから踏査で地方へ行くための早朝出発・夜間到着に対応するため,ホテルを北京駅前に戻した(昨年最終日の記事→こちら)。そして一昨年より始まった中国でのオンラインチケットの販売と8月末の中国人旅行シーズンでチケットがとりづらいので,日本で予め列車のチケットを入手しておいた。手数料が痛いけど,しょうがない。でも,おかげで滞在予定がしっかりと立てられた。

写真は北京駅(写真上)。昨年より入口に入場前の身分証チェックポイントが設けられた(茶色のカマボコ屋根)。

お守りを身につけての来華(外すことはないけど)。こういう時は普段以上に頼りにしてる (*´ -`)(´- `*)srsr

ふくおか

20130609九博「大ベトナム展」9日日曜日,4時起床。論文07bを少し進めてから,午前中は九州国立博物館特別展「大ベトナム展」(2013年4月16日〜6月9日)と太宰府天満宮に行ってきた。太宰府を訪れるのは7年ぶりくらいか。

もともと行きたいと悩んでは諦めることを繰り返していた特別展。でも日本初の展示だということ,東京に巡回しない(九博1館のみ開催)こと,日本だけでなくベトナムやインドネシアからも作品が来ること,別な博物館展示と重なったこともあり,九博行きをギリギリまで悩んだ。

また,この時期は自分自身に疲労が溜まるため気晴らしとしても来たかった。昨年度は7月末に体調崩したので今年は仕事を減らしたし。そんな特別展最終日が迫った先週末,自分自身で冗談めかして安い予算内で福岡パックを探したらあるのを見つけたのでやってきた次第。論文用の重い荷物も一緒w

ベトナムについては以前論文で触れたことはあったけど,全く知らない分野。目録で黎朝期や阮朝期の「安南国大都統書簡」や「勅封」を直にこの眼で見たことは嬉しかった。文字や原料紙の質感など現物でないと分からないし。

帰り道,太宰府天満宮を訪れて頼まれたお守りを頂く。

午後は観光もせず部屋に籠もって論文07b。でも全然進まない。作業は予定より半月以上遅れている。あいやー。

夕食は大好きなもつ鍋を頂きました。ただ“おひとり様”なので,いろいろと残念なこともありますな。ふんw (*´ -`)(´- `*)srsr

☆「大ベトナム展」(九博特別展):こちら
☆九州国立博物館Webサイト:こちら

今日も文理学部へ

20130404bunri朝,丘の上にある自宅近くのバス停で暖かさを実感した木曜日。平年より4度高い21度まで上がったとのこと。

午前中,文理学部へ。師匠に渡すブツを研究室不在のため学部長室へ預ける。講師室に挨拶して図書館へ。こちらでも旧知の職員さんと久しぶりに話す。原稿02の手直しを始めた途端に真っ赤っか。史料の読み直しが必要レベル。

帰り際,図書館前で新院生と遭遇。夕方は府中駅前で所用。偶然にも電源カフェ。ノマド族になり仕事を少し進める。

今更だけどファンモン(八王子市出身&観光大使)にハマってる。現在,聞き込んでいるのは「希望の唄」「サヨナラじゃない」。ベタだけど。歌詞がいい! (*´ -`)(´- `*)srsr

がんばろ

jakki-更新かけられないけど生きてます。

オフラインの分,ジャッキーの日記帳を買って日々欠かさず考えていることを書き連ねている。この日記帳,1頁2日分で384日分あるけど,キツくないな (*´ -`)(´- `*)srsr

仕事に追われていたため,某資料の膨大なデータ入力をほったらかしにしたままだったが,ようやく終了。ファイルを見たら4年半もかかったことを確認。再チェックしないと使えないけどw

1ヶ月経ちました。最近の悩みは24日(日)24:00から4月11日(木)12:00まで,カフェがリニューアル改装するので使えなくなることかな。せっかく集中できる場所を探したのに。近くでオープンスペースがあるのは多摩センター店だけになるな。そうそう,伝えないといけないことがあるけど,誤解を招かないように今度会えたとき直接伝えますね。やり方は変わるかもしれないけど,言ったことは違えないよ (*´ -`)(´- `*)srsr

合計10万カウントも近いのに更新頻度が減っているのが残念。でもしょうがない。

様々な面で司馬遷「腸一日而九回」という気持ち。あちらのことも含めて師匠にもご相談したいけど,最低限の持参するものを早めに区切り付けないと行けない。さ,がんばろ ( ´△`)

NACSIS Webcatがサービス終了

webcat20130308早朝より八王子のカフェに籠もってノマドに徹するも,“今週末で昨シーズン分の花粉が飛ぶ”とのことで,苦しみながらの作業。

論文を書いた者ならば必ずお世話になっていた,シンプル画面と軽快な処理速度が魅力的だったNACSIS Webcatが1997年4月のサービス開始以来16年を経て2013年3月8日昼をもってサービスを終了した。今後はCiNii Books(2011年11月開始)がサービスを引き継ぐ。

図書館蔵書目録データベースがインターネットで公開されたことは,それまでの時間的・地理的条件を越えて目録情報を等しく利用できるようになり,大きな意義があった。当時は約450万件程で検索にも限界があったが,2008年には雑誌と合わせて1億件を突破,現在では広範囲の図書館・研究所を網羅している。

小生自身がインターネットを本格的に使って検索をおこなうようになった時期でもあり,図書・論文検索としては,CiNiiがまだなかった(運用開始は2005年4月)こともあり,国立国会図書館NDL-OPAC(当時は館内LANのみ)の「雑誌記事索引の検索」(雑誌)と「一般資料の検索」(図書)と「東洋学文献類目検索」をうまく組み合わせて論文や研究雑誌・図書や所在場所をさがしたものだった。

そういう今日は,Webcatの終了に合わせてこのブログのリンク集を大きく変更した。「頻用リンク」を右側に移し,左側には検索リンクと研究関連,教育関連に分けて並び替えた。4月からルーティンが大きく変化することでもあり,自分で言うのもヘンだけど今後の自分のスタンスを垣間見た気がした。また利便性に合わせて変えますけどねw

※追記
webcatのインターフェイスを利用した「CiNiiBooksLite」と「We6cat」が有志によって公開されている。公式ではないため自己責任での利用となるが,いかにwebcatが研究者の心を掴んできたかを読み取ることができるだろう。

☆NACSIS Webcat は 2013年3月8日をもってサービスを終了しました (2013年3月8日):こちら
 CiNii Articles 日本の論文をさがす:こちら
 CiNii Books 大学図書館の本をさがす:こちら
☆国立情報学研究所(NII)の“Webcat”がサービス終了(2013年3月8日):こちら←関連リンクあり
 カレントアウェアネス・ポータル:こちら
☆Webcat終了日時について(2012年5月24日):こちら
 国立情報学研究所目録所在情報サービス:こちら
☆CiNiiBooksLite:http://cibookslite.appspot.com/
☆We6cat:http://we6cat.next-l.jp/
☆昨シーズン分の花粉量が一気に飛散(2013年3月6日):こちら
 日本気象協会:こちら

お酒飲みながらバカ話とか,楽しいよね♪ (*´ -`)(´- `*)srsr

イサンガ墓地の石牌(またはタイトル画像)

isangga2002他のブログ同様にタイトル画像が使えないか調べてみたところ,このLivedoorブログに“簡単タイトル画像”機能がついていた。というのを今日知った。

パソコンのタイトル画像として貼り付けたのは,中国北京市房山区岳各庄鎮後台村にあるイサンガ墓地の石牌。写真は記録によれば2002年11月7日,北京留学時に劉小萌先生(中国社会科学院近代史研究所)と房山区一帯を巡見した時のもの。訪れた時,夕方近くで西日が強かったのを今でも覚えている。

イサンガ(Isangga 伊桑阿;1638-1703年)は,イルゲン=ギョロ(伊爾根覚羅)氏,正黄旗満洲旗人。順治九年(1652)に内閣大学士となり,康煕年間には工部・戸部・吏部・兵部・礼部の各尚書を歴任した。特に三藩の乱で活躍したほか,黄河の修築をおこなうなど民政でも大きな役割を果たした。

イサンガの墓地には,華表・石牌・石獅子・墓碑など良好な状態で保存されている。墓碑は高さ4.8mあり,満漢文で書かれ,康熙四十二年(1703)七月十八日に立てられた。

とりあえず気分的に画像を変更するかもしれないけど,しばらくは清朝史・満族史の雰囲気を感じるこの写真でいきます。右下に見慣れた人物が写っていますが,気にしないで下さい。その他,パソコン背景画像にはHP背景画像と同じ満洲語(「満文老档」)を貼り付けてあります。

なお,この画像が見られるのはパソコンのみ。ケータイとスマートフォンでは,そのまま大好きな“ユリ”の画像でいきます(*´ -`)(´- `*)srsr

学位論文「公聴会」開催のお知らせ

20121217katakura外国史専攻では,学位論文「公聴会」を下記の要領にて開催いたします。皆様のご参加を心からお待ち申し上げております。

なお,学位請求論文は史学科事務室にて閲覧可能です。閲覧をご希望される方は史学科事務室まで申し出てください。その他,お問い合わせは,史学科助手(内線4214)まで連絡ください。



1.公聴会開催日時:平成24年12月22日(土)11:00より
2.場所:日本大学文理学部3号館2階3203教室
3.学位請求者:片倉芳和
4.学位請求論文題目:中国近代と宋教仁

平成24年11月27日
日本大学大学院文学研究科外国史専攻

  以上

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お世話になっている片倉芳和先生の公聴会です。

小生も参加を楽しみにしていましたが,当日は試験直前のため仕事を優先することになり,残念ながら参加することができません。片倉先生にもお伝えしました。なお,相談に乗っていただいた高綱博文先生はじめ諸先生方・先輩方ありがとうございました。

劉世─慇驚羇以後的旗務政策(1780-1911)』

劉世─慇驚羇以後的旗務政策(1780-1911)』(指導教授・荘吉発教授,国立台湾師範大学歴史学系碩士論文,2012年6月)

劉さん御本人より国際郵便にて頂戴しました。ありがとうございます。まだ研究が多くない清中期以降の旗人に関する修士論文。活字化と研究の進展を期待します。

2011年2月,台湾での資料調査の折,葉高樹(国立台湾師範大学)先生を通じて紹介いただいた彼女には,台北滞在中,大変お世話になりました。この修士論文を書き終えて,今年度(2012年夏)より政治大学の博士研究生に進学したとのこと。これまでに,マーク=エリオット氏の書評(劉世─嵒床 The Manchu Way: The Eight Banners and Ethnic Identity in Late Imperial China」(『史耘』第14期,2010年6月))も著している若い研究者です。

この修士論文自体も近いうちに国家図書館の博碩士論文知識加値系統にて公開されるようです。


鈴木真「清朝前期の鑲藍旗旗王家」

2012asuzuki鈴木真「清朝前期の鑲藍旗旗王家」(『社会文化史学』第55号,2012年3月)

鈴木真先生(ノートルダム清心女子大学)より頂戴しました。ご紹介が遅くなりましたが,鈴木先生ありがとうございます。

中国最終日(6日目;北京市→東京)

20120830beijing01北京は24-35度,晴れときどき曇り。

午前5時にホテルをチェックアウトして空港へ。ホテル近くのバス停(魏家胡同)から106路(4時50分始発)で終点の東直門まで乗り,そこから6時始発の地下鉄・空港線(机场快线)で北京首都国際空港第三ターミナルというセーフティネットを張りつつ,希望としては流しのタクシーを拾えればいいかなと思っていたところ,すんなりと拾えた(ホテルでの対応を見て,面倒さを回避するためタクシーを予約しなかった)。

2年前,同様に朝8時半発の飛行機に乗ろうとして,市内(北京駅前のホテル)から朝5時半前にタクシーを拾ったところ(拾うまで20分以上かかった),運転手が「あと15分遅れていたら間に合わなかったぞ」と,早朝は空港行の高速道路も含めて渋滞になることを聞かされていたため,今回は僅かながら地の利のよい東四のホテルを選んだ次第。

結局,今回は滞りなく朝5時半には空港に到着。ただ白皋橋を過ぎた東葦あたりからは空港に向かう車の量が凄まじかった。やはり早朝便のみ乗るときは要注意のようだ。

飛行機は時間どおり離陸し13時20分(日本時間)には羽田空港国際ターミナルに到着した。東京は相変わらず蒸し暑い( ´△`) 両替を済ませ,14時20分発聖蹟桜ヶ丘行きのリムジンバスに乗り,そこから奮発してタクシーで自宅へ帰った。

今回の中国行きは,もちろん踏査を以前のペースに戻したためだが,もうひとつは運気に勢いをつけるため。というと聞こえはよいが,方法論的に研究が停滞していることのへ打破,及び精神的にはポジティブさを取り戻すためもある。

昨年度から講義は一応フォーマットができて落ち着き,また精神的には5年間続いた1番の負担が終わったけど,その分守勢なのが自分でもよく分かった。でも博論ややりたい事やるべき事があるし,昨年4月から運気が上昇しているようなので,19から22歳の留学時とは言い過ぎだろうが,2002年留学時の頃の怖いもの知らずで積極的な自分を思い出せたらと“敢えて1人で”出かけた。硬座で8時間半は根本的にムリだけど,嫌がるもう1人の自分を押しのけて,結果的には積極的な自分を前面に押し出して行動できたと思う。やはり遼西回廊は魅力的だったし。

とはいえ,今回も日本と中国の師匠,研究仲間や友人から滞在前・滞在中とアドバイスやメールや書き込みなどを頂いたり支えられたりした。ありがたい限り。

などと言いつつ,今回の踏査(中国行き)が今後どのように活かされるかは一切不明だが……。笑

写真は,万聖書園の割引カード。これがあると書籍の割引が受けられる(現在は基本2割引)になる。

今回は故宮博物院内の中国第一歴史档案館での資料調査も予定に入れなかったし,夕方便に変更しないで正解でした。それから陰日陰wに支えてくれてありがとう。1日(土曜日)は18時まで学習センターですが,また別途時間を見てお礼に伺います(*´ -`)(´- `*)srsr

中国5日目(北京市)

20120829beijing01北京は22-36度,晴れ。

最高気温は36度だが,東京みたいに湿気がないので,個人的には過ごしやすい。また,北京は大通りの間隔が東京と比べて広いので,気づくと1時間は軽く歩いていることが多い。そんな1日(*´д`*)

北京市内の数ヶ所を踏査した。

その踏査の中心は,洪承畴の邸宅跡(南鑼鼓巷)と墳墓跡(車道溝)。洪承畴(1593〜1665年)は,もと明の高官で松山の戦い(1641年;遼寧省錦州市)で清朝に投降,後に摂政王ドルゴンの信任を得て清朝の入関戦争,及び中国内地統治に重要な役割を果たす人物として広く知られている。中国ドラマ『大清風雲』(TSUTAYA等でも貸し出されている)の范浩正のモデルの一人とも言われている。

6時半にホテルを出発。朝食をとりつつ50分ほど歩き,邸宅跡の東城区交道口南鑼鼓巷59号へ(写真上)。門墩が“抱鼓型有獅子門墩”なことから高級武官の邸宅だったことが見て取れるが,上部の獅子は削られている。余談であるが,南鑼鼓巷は隣接する中央戯劇学院の劇場とともに中国文化雑貨の店舗やカフェ(日本のタコ焼き屋もあった)が軒を連ね,文化街として売り出している。改装された前門に比べるとまだ知名度は低いようだ。

20120829beijing02地安門東大街の鑼鼓巷から118路バスで紫竹橋南で下車。1990年代の中国留学中にピザをよく食べに来たシャングリラホテルの前を歩いて通り過ぎつつ,バス停から30分ほど歩いて海淀区車道溝の墳墓跡へ(写真下)。現在は某幼稚園の敷地内になっているが,今でも墳丘と古松林が残っており,外から伺うことは可能である。さらに園内には石獅子が現存しているが,外部に開放しておらず(それでなくても幼稚園や学校は警備が厳重なのはデフォルト)見ることができなかった。

大通りに出ると藍靛廠南路。この北西にある藍靛廠はもと藍靛廠火器営と呼ばれ,清代には八旗の駐屯地であり,2002年末までは満洲族が以前の組織そのままに生活していた。現在は再開発で彼らは立ち退いて,新興住宅地となりマンションが立ち並んでいる。それを横目に見ながら時間の流れを感じた。

午後は“旅遊文化街”として再開発された前門で買い物,王府井から北上してホテルへ歩いて帰ってきた。成府路の万聖書園や三聯書店を回ったが,以前のように書籍をバカ買いすることもなかった。14冊のみだが必要な書籍が複数冊あり結果的に満足してる。

確認終了。いよいよ来週ですな。こちらはすでに準備完了です。待ち遠しい♪(*´ -`)(´- `*)srsr

中国4日目(遼寧省凌海市→錦州市→北京市)

20120828dalinghe02凌海市は21-25度,曇のち雨。
錦州市は21-27度,雨。
北京市は21-32度,雨のち曇。雨は台風15号の影響。

7時15分,錦州駅前からタクシーで凌海市へ。私自身は2年ぶり(2010年8月26日に踏査),電羊齋齋主は初めてとのこと。

凌海市には明清交代時に最大の攻城戦が繰り広げられた大凌河城があった。とはいえ,城址などの痕跡は何も残っていない。大凌河にかかる橋のたもとで写真を撮ってきた(写真上)。凌海駅前広場は2年前と比べてコンクリート打されていた。その他は変わらず。ただ運転手が道に詳しいようで,抜け道で目にした光景(高級マンション群,実験小学,伝統的な造りの商店街など)が新鮮に映った。

ちょうど開館時間の9時に錦州市博物館に到着,タクシーを降りて参観。博物館は前回より館内改装が進んでおり,「錦綉之州歴史文明展」に明代・清代の展示がまとめられていた。関係するところでは,明代展示に“竹節鉄炮(錦州旧城出土)”と“銅銃(凌海市化肥廠院内出土)”及び遼西回廊各衛所の地図(前回は別な展示室での大きく解りやすい模型展示だった)が,清代展示に旗人・尹継善墓(錦州市太和区営盤郷董家溝村尹家墳)出土(尹継善及び一妻一妾の3墓)の“雲型首金簪”・“龍頭首金簪”・“「寿」字金帽正”・“古銅色龍袍”が展示されていた。ちなみに墳墓そのものは,1958年「大躍進」時に崩されて平地とされていて跡形もないという。

博物館見学後,環3バスに乗り“站前”で下車してホテルに戻った。その後,チェックアウトして2人で昼食。13時,齋主と分かれた。

20120828jinzhou2人とも偶然にも同じ時間に錦州を離れるチケットを入手していた。私は13時59分錦州発,2591/2590(松原−北京)の硬臥,齋主は14時00分錦州発,大連行きの長距離バス(5時間)。ただ私が乗る列車は32分遅れで14時31分錦州発(写真は2番ホームに入線する2591/2590次列車),結果的に約90分遅れの23時23分に北京駅に到着した(本来は21時59分着)。

駅前に出ると北京市地下鉄への乗り換えに終電ギリギリ間に合わないので,しかたなく長蛇のタクシー待ちに約30分並ぶ。割り込みがなかったのに驚きつつも,29日午前0時過ぎ,ようやくタクシーに乗ることができ,0時20分頃に東四のホテルに辿り着いた。

地方へ出て北京に戻る予定の時は,ホテルは前回のように北京駅前がベターとプチ反省。

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☆以前のブログ記事より:
大凌河城址(2010年10月25日分):http://manju.livedoor.biz/archives/51712878.html
錦州市博物館(2010年11月1日分):http://manju.livedoor.biz/archives/51717299.html

☆電羊齋齋主のブログ:
電羊齋は涙を信じない(電羊齋不相信眼淚):http://talkiyanhoninjai.com/

火曜日の午後はずっと錦州→北京の列車のなかでした。だからこそ余計ににもどかしくなるね(*´ -`)(´- `*)srsr
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管理人プロフィール

出身地:群馬県前橋市

履歴:高校卒業後,日中学院より中国に3年間留学。印刷関連会社勤務を経て,日本大学通信教育部(史学専攻)から日本大学大学院文学研究科史学専攻(博士前期課程)へ。日本大学大学院文学研究科東洋史学専攻(博士後期課程)満期退学。博士(文学)

現職:非常勤講師ほか

専攻:清朝史・満族史・東北アジア民族史・東アジア史及び満洲語文書資料。

タイトルの“tere inenggi”とは満洲語で“その日”という意味です。

現在,歴史学・東洋史・中国語(漢語)・コンピュータ情報リテラシー等の講師をしてます。講義では,できるだけ多様な視座を提供したいと模索中です。

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