tere inenggi

研究(満族史・清朝史・東アジア史)や講義(歴史学・東洋史・中国語[漢語]・コンピュータ)等の備忘録

東洋文庫清代史研究会

東洋文庫清代史研究会:『内国史院档:崇徳三年』

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参加者は4名。2月29日から2月17日まで。

↑というのは,この档案,29日までは清太宗ホンタイジの出征軍の記録で,それが終わると,再び初3日から留守居のダイシャン・ジルガラン・ドルゴン・ドゥドゥ側の記録が始まるという変則的なまとまり方をしている。

個人的には,現在の小生のテーマのひとつである「ドルゴン時代の記録」に関係する記述らしいところがあったこと。「吏部の和碩睿親王は〜」の記述の「和碩睿親王」に文中擡頭をあらわす空白部分を発見。

ドルゴンはその死後,爵位を剥奪されて,宗室から名前が削除された時期があり,現在の清朝の記録では,とりわけ順治年間の役割が過小評価されているのではないか,と考えている。小生は現在,ドルゴン生存中の档案資料をいろいろと読み込んでおり,そういう意味では,上のような記述は大変興味深い。

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meilun *賞賜した衣服らしいが,詳細は不明

jalmingga suje *jalmingga緞子←jalminggaは不明

sirha oojin  *sirha捏褶女朝掛←sirhaは不明

soose ergume *sooseの朝衣←sooseは不明

東洋文庫清代史研究会:『内国史院档:崇徳三年』

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参加者は7名。2月13日から18日までを講読。

ヽ阿僚地方から諸王・諸貝勒らが合流し,献じた物の数について。興安嶺を越えつつ巻き狩りする時の小さな事件,を読む。

次回は,11月18日(土)午前10時〜12時まで。

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deduhe:泊まった ←→ indehe:野営した 延泊の意味か?

sula adun morin:裸の群馬(ぐんば)か? 数が示されず(emu:juweなど)群(adun)か?

東洋文庫清代史研究会:『内国史院档:崇徳三年』

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参加者は4名。正月28日から2月12日までを講読。

三年戊寅,正月甲寅,三十日甲午,甲戌の刻に,西の永福宮の荘妃に男子が生まれた記事がある。すなわち順治帝誕生(崇徳三年正月三十日生)である。档案の書き方が,ほかと異なる。「寅の年,寅の月」なんてところは,徳川家康の誕生(確か寅の刻だったと記憶)とダブるようなところがあるが,寅が続くと,何か意味があるのかは不明。

また正藍旗の韓大勲(戸部承政)の家人・李登が主を告発。調べたところ,韓大勲等が刑部から金・銀等を盗み,漢文の書類上では別なものを記していたことが判明というもの。最終的に,韓大勲は処刑されずにすむが,処刑できないだけの理由があったらしい。それが何なのかは不明。告発した李登は,韓大勲から引き離され,ホーゲの下に置かれた。

次回は11月4日(土),10:00〜12:00に東洋文庫にて。

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hikobuha 引き離す

amba bayara 皇帝自身のbayara兵か

gurun boo  国家

lioha [鵬蓮き¬惴鼎Laoha河。档案によっては混乱を招きやすいが,時期が下ってくると「monggo lioha」と記されることが多くなる。

ihan i yali 牛の肉,honin yali 羊肉 → 何故,牛の肉には「i」があり,羊には「i」がないのだろう。

東洋文庫清代史研究会:『内国史院档:崇徳三年』

当日はお休みしてしまいました。

途切れ途切れでの参加は、あんまりよくないのですが、すみません。

東洋文庫清代史研究会:『内国史院档:崇徳三年档』

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参加者は5名。

正月20日〜22日の途中まで。東路(dergi goro)のキヤントゥリ(kiyangturi)なる人物が持ってきた朝貢品と回賜のリストが特徴的。

それにしても、今日の勉強会の行き帰りはドジの連続でした。行きのバスで整理券を取り忘れるし、電車は北千住から常磐線に乗り換えないといけないところを、間違って日比谷線に乗車して遅刻するし、帰りのバスでは支払機と両替機を間違えて、あやうくそのまま降りてしまいそうになるし。

まだ本調子ではないようです。施術痕もまだふさがっていないと言っていたし。

東洋文庫清代史研究会『内国史院档:崇徳三年』

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4名。正月20日、訴訟記事の続きから。

Bayan貝勒の配下2名が虎を倒した。ところが一方が新満洲であることから、訴訟は当初は新満洲に不利な状態ですすむ。

また、元旦の儀礼を振り返り、今後の犠牲とする生畜数や返礼の銀の値段を決める。

次回は9月第1週となります。

東洋文庫清代史研究会『内国史院档:崇徳三年』

お休みしてしまいました。連続です。残念。

夕方に体調が持ち直したので,近くにあるMOVIX三郷まで気分転換に映画を見に行きました。大きなポップコーンを一人で食べるのは,意外と辛い。

東洋文庫清代史研究会『内国史院档:崇徳三年』

私用でお休みしてしまいました。残念。

その代わり(?),埼玉に引っ越してはじめて東武伊勢崎線に乗りました。日比谷線・半蔵門線への乗り入れが便利でした。

東洋文庫清代史研究会『内国史院档:崇徳三年』

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参加者は5名。

正月13日〜15日分を講読。特に戸部承政韓大勲の罪及び秀才の問題は,崇徳年間の漢人問題を考える上で重要な記録。

調子がよくなかったので,担々麺には参加せず,早々に引き上げる(?)。

次回は20日,満族史研究会大会の前の週。

東洋文庫清代史研究会:『内国史院档:崇徳三年』

参加者は7名。

正月9日〜11日を講読。八旗官・世職の領催・承襲及び鑲白・正藍旗人の審理。

東洋文庫清代史研究会:『内国史院档:崇徳三年』

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残念ながら、本日は研修のため参加できず。

昨日まで研究会終了後すぐに研修場所まで行く予定でいたが、時間的に間に合わないことが判明。今回は研究会への参加はあきらめざるを得なかった。今年は皆勤賞を目指していただけに、早々に頓挫してしまい残念。

写真は、『満和辞典』(1972、国書刊行会)

東洋文庫清代史研究会:『内国史院档:崇徳三年』

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参加者は4名。

正月3日の外藩王公へ正月返礼、同6日の朝鮮国王への返礼、同7日のアジゲ(Ajige阿済格、Baturu郡王)属下の処断について。

同7日のアジゲ軍に関する記載については、加藤直人「入関前清朝の法制史料」(滋賀秀三編『中国法制史:基本資料の研究』東京大学出版会、1993年)で考察されている。facuhvn cooha(facuhvn=乱れる、cooha=いくさ/軍/兵)とは「入り乱れた戦い=混戦」ではなく「軍紀の乱れた軍隊」。

”fiyanjilambi”は、 崚揃海箸覆襦廖↓◆嵌蓉△箸覆襦廖”nukte”は「輜重」。

次回は4月1日(土)午前10時から正午まで。東洋文庫にて。

ちなみに写真は、となりの六義園で毎年春に開催している「しだれ桜と大名庭園のライトアップ」。この時期は、園内の桜をライトアップするので、閉園時間が遅くなります(入園は20時半まで)。今年の期間は3月21日(祝・火)〜29日(水)。

東洋文庫:清代史研究会

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参加者は5名。

元日にgurun i ejen fujinに上せた箋文(jiyan bithe)部分と3日に新年の礼で内外の和碩親王(hoxoi cin wang)・多羅郡王(doroi jiyvn wang)・多羅貝勒(doroi beile)・固山貝勒ら(gvsai beisese)に賞賜した部分。

恭順王(孔有徳)はginggun ijishvn wang。懐順王(耿仲明)はgvnin ijishvn wang。智順王(尚可喜)はbodohonggo ijishvn wang。

疱瘡(ほうそう)はmama(またはamba mama)。痲疹(はしか)はajige mama。

東洋文庫:清代史研究会

『内国史院档:崇徳三年』を講読。参加者は6名。

引き続き、元日の部分。朝鮮国王からの箋文・チャハルのGurun i Efuエジェイ・恭順王孔有徳の表文などを読む。それにしても決まったフォームの文章ですこと。また満文では大臣を遣わしたのを、漢文実録では本人が実際に来たかのように変えられていた部分も見られた。

以上は、「ねつ造」というよりは、王朝の姿勢を表した部分として捉えるほうが自然と思うけれど、そのことについては後日。

また、ホンタイジを指す言葉として「皇帝Hvwangdi」と「ハンHan」と二つが見られるが、これもまた王朝の持つ顔を示したものと言えよう。

東洋文庫清代史研究会

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今日より『内国史院档:崇徳三年』を講読。参加者は7名。

元日、ホンタイジが祭礼をおこなう場面の描写、及び王公や臣下がホンタイジや皇后に表文(biyoo bithe)・箋文(jiyan bithe)を奉り、朝鮮国王(coohiyan gurun i wang)の二人の子が公課(alban)を送り、表文を上奏するところ。

近現代史の研究者からはツッコミが入りそうな文章も多かった(笑)。「国民(gurun irgen)(→”くにたみ”とよむ)」、「国家(gurun boo)」。

さらに、松村潤先生(日本大学名誉教授・東洋文庫研究員)が、以前、ご論文(「天命朝の奏疏」『日本大学史学科五十周年記念歴史学論文集』1978年)で指摘されたとおり、当時の清朝が紙不足であったことをうかがわせる献上品があった。しかし、「白紙2,000帖(sanggiyan hooxan juwe minggan kiyan)」ってどのくらいの量なんでせう?

東洋文庫:清代史研究会

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本年最初の清代史研究会でした。

東洋文庫清代史研究会は、戦後まもなく「満文老档研究会」として発足し、これまでに多くの研究者・研究業績を輩出してきた伝統ある研究会です。小生も1999年からお世話になっており、大変多くのことを学ばせて頂いております。現在は松村潤先生が中心となり、楠木賢道先生(筑波大学)がトランスクリプションを作成してます。

活動時間は、毎月第一・第三土曜日の10時〜12時で、現在は「内国史院档:崇徳年間档」を講読してます。今日で崇徳二年分が終了し、次回(2月4日になります。1月21日は休会)より崇徳三年分に入ります。

清朝の第一公用語である満洲語に興味のある学部生以上の方がいらっしゃいましたら、如何でしょうか? 漢文だけでは知ることのできない、清初の数多くの文化・政治などの出来事に触れることができ、新しい世界観を目の当たりにすることになるでしょう。

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管理人プロフィール

出身地:群馬県前橋市

履歴:高校卒業後,日中学院より中国に3年間留学。印刷関連会社勤務を経て,日本大学通信教育部(史学専攻)から日本大学大学院文学研究科史学専攻(博士前期課程)へ。日本大学大学院文学研究科東洋史学専攻(博士後期課程)満期退学。博士(文学)

現職:非常勤講師ほか

専攻:清朝史・満族史・東北アジア民族史・東アジア史及び満洲語文書資料。

タイトルの“tere inenggi”とは満洲語で“その日”という意味です。

現在,歴史学・東洋史・中国語(漢語)・コンピュータ情報リテラシー等の講師をしてます。講義では,できるだけ多様な視座を提供したいと模索中です。

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