tere inenggi

研究(満族史・清朝史・東アジア史)や講義(歴史学・東洋史・中国語[漢語]・コンピュータ)等の備忘録

米沢・山形・十和田紀行(2005年7月24日〜26日)

「内藤湖南先生誕生地」碑(秋田県鹿角市毛馬内)

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2005年7月25日,仁叟寺を後に,内藤湖南生誕地に向かった。

すでに一度紹介している(2005年7月27日の記事)が,改めて見てみたい。

生誕地は,国道282号線から鹿角先人顕彰館や蒼龍窟,また仁叟寺への入口に位置しているため,目につきやすい。

「内藤湖南先生生誕地」碑には,右上に「東洋学の権威」,立碑者は「郷賢顕彰會」とある。「生誕地」碑の左側には,「高田地区土地区画整理事業による/道路拡幅にともない,生誕地より/約二十米ほど東方の現在地に碑を/移築した。/平成九年三月/内藤湖南先生顕彰会(/は改行)」と,その経緯が記されている。「生誕地」碑の背面は「昭和丗六年六月廿六日建立」,説明版の背面は無字。

午前11時半頃,「生誕地」碑を最後に,内藤湖南の故郷をめぐる紀行は予定より若干早めに終了。このまま,この日の宿舎である福島県郡山市の東横イン郡山までまっすぐクルマを走らせた。東横インは5年以上利用しており,「4&5クラブ」会員でもある。

郡山へは午後5時頃到着。夜の町に繰り出すが,かなりクタクタだったので,早めにホテルへ引き上げる。現地の名物料理も前もって調べておかなかったので,歩いている内に「夕食難民」となり,結局コンビニ弁当。

翌26日は,須賀川の円谷英治関係の場所を巡りたかったが,急用にて日本大学理工学部船橋校舎に,朝一番で郡山より直行することに。

こうして,内藤湖南の故郷紀行は,思い出深く,終わりがうやむやなまま終了したのであった。

内藤家三代の墓:仁叟寺(秋田県鹿角市毛馬内)

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2005年7月25日,内藤湖南旧宅(蒼龍窟)を跡にして,鹿角市先人顕彰館の前を横切り,内藤家三代の墓がある仁叟寺に向かった。

ここには,内藤湖南の祖父・天爵,父・十湾,そして湖南が葬られている。

内藤湖南の死去は,昭和9年(1934)6月26日,京都の恭仁山荘においてであった。69歳。前年8月,湖南は病の身体で「満洲国」に出向き,帰ってくるということをしている。死去の約2ヶ月前,鄭孝胥が,その返礼で湖南を見舞ったばかりであった。

遺骨は,京都鹿ヶ谷の法然院に葬られた。遺髪は,故郷秋田県毛馬内の仁叟寺に送られ,祖父・父と共に葬られることとなった。

内藤湖南旧宅:蒼龍窟(秋田県鹿角市毛馬内)

内藤湖南先生旧宅・門2005年7月25日,鹿角市先人顕彰館を後にして,そのまま車にて,内藤湖南旧宅に向かう。

狭い道を車でくねくね曲がると,さすがは旧柏崎新城跡,縄張りはそのまま残されていることに驚きながら,1分ほどで内藤湖南旧宅に到着。あー,歩いてきてもよかったかな,という散歩コース。

内藤湖南旧宅現在も内藤さんが住んでいるらしく,中には入れないが,門に「文学博士内藤虎次郎郷宅」の札,及び門の左側に「湖南先生旧宅」の碑が建てられていた。

この旧宅は,顕彰館で頂いたプリントによれば,明治13年(1880)湖南15歳の時,父十湾が建てたとある。現存のものは改装されているが,「蒼龍窟」扁額は吉田晩嫁の筆,十湾自らの刻とある。

内藤湖南先生顕彰会『湖南』

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2005年7月25日,鹿角市先人顕彰館にて。直接関係する号のみに限定して購入。

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『湖南:関西大学「内藤文庫」特集』第5号,1985年

 細谷良夫「内藤湖南と満洲(清朝)史研究の発展」

『湖南:内藤湖南先生生誕120周年記念』第7号,1987年

 神田信夫「瀋陽にて湖南先生を憶う」

 細谷良夫「『満洲写眞帖』の史跡を訪ねて」

『湖南』第8号,1988年

 神田信夫「『満洲写眞帖』のことども」

 細谷良夫「続『満洲写眞帖』の史跡を訪ねて」

『湖南:結成10周年記念』第10号,1989年

 細谷良夫「『満洲写真帳』の史跡−鐵嶺と開原の旅から−」

 神田信夫「湖南先生の吉林旅行」

『湖南』第11号,1990年

 神田信夫「『満洲写真帖』所載の遼西の史跡」

 細谷良夫「内藤湖南先生の吉林旅行」

『湖南』第12号,1993年

 細谷良夫「『奏疏稿』の日本将来」

『鹿角の偉人:和井内貞行・内藤湖南』

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鹿角市先人顕彰館編『鹿角の偉人:和井内貞行・内藤湖南』鹿角市教育委員会,1994年

2005年7月25日,鹿角市先人顕彰館にて購入。

先日の先人顕彰館のところでも紹介したが,これを読んだ市内の小学生数名の読書感想文が館内で紹介されていた。つまり,書名のとおり,内藤湖南は鹿角市内では「郷土の偉人」として学習していることになる。本書は,そのためのテキストと考えてよかろう。

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目次(内藤湖南部分のみ)

一.栄光

二.大きな星 内藤湖南

三.逆境の中から 生い立ち

 激動の中で

 しばしのやすらぎ

 孤独

 注目の小学生

 師範学校に進学

 超特急で卒業

 二十歳の校長先生

四.実り多い回り道

 ジャーナリストの卵

 虎の梁山泊

 広い舞台へ

 運命の分かれ道

 さらに十年

五.湖南の学問と人

 型やぶりの学者

 中国史に独自の境地

 日本史の研究

 書籍の収集

 絵画史の研究

 学問を土台にして

六.恭仁山荘にて

 五万冊の書籍と

 燃え尽きない思い

年表

参考図書

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本書は一般販売もしているとのこと。詳しくはこちら

鹿角市先人顕彰館(秋田県鹿角市毛馬内)

鹿角市先人顕彰記念館2005年7月25日,朝7時過ぎに山形をでて,午前10時頃,山形県鹿角市にある鹿角市先人記念館に到着。ここには主に内藤湖南,そして十和田湖の開発に尽力した和井内貞行が展示されている。

内藤湖南関係では,湖南の祖父・仙蔵(天爵),父・調一(十湾),虎次郎(湖南)に関する書・写真などの展示がある。

また,門人の神田喜一郎先生撰,同じ秋田県出身の大里武八郎氏書「内藤湖南先生頌徳碑銘」の写真・解説などもある。

内藤湖南地元密着型の博物館・資料館ゆえか,「鹿角の偉人・内藤湖南」(後日紹介予定)の小学生による感想文が飾られていた。また,内藤湖南に関係する6本のビデオを鑑賞することもできる。

その内容は以下の通り。 崙眛8估遏彎赦贈糠内藤家に旧満洲国総理の訪問記録(16ミリ映像・無声・10分),◆崙餠晤談」昭和9年内藤家に旧満洲国総理の訪問記録(平成9年ナレーション入り・10分),「日本を越えた日本人」よみがえる中国学者内藤湖南(NHK平成9年制作・45分),ぁ峺什澆龍蛙了柿顱徂磴了廚そ弌〇予祥子(平成9年制作・10分),ァ崙眛8估遏弩仮幹枡段夢覯菘検塀田朝日平成9年制作・10分),Α崙眛8估遏彝慳笋半霰 森深く日に新たなり(紀伊国屋平成10年制作・44分)。

同館には,いわき明星大学の学長をつとめられた寺田隆信先生の文庫があると,前日山形で中村篤志先生(山形大学専任講師)に伺っていたので,そちらも確認する。同館の入口近くにガラス戸付きの棚が20数面並んでおり,目録も作成されているようである(No.1〜No.2を確認)。

寺田隆信先生が地元の『秋田さきがけ』新聞に寄稿された,「東洋史学の開山大師:内藤湖南生誕130年に寄せて」(1996年11月17日・18日)も紹介されている。

鹿角市史跡案内:内藤湖南同館にて,近隣の史跡マップを頂いた。これが現地でとても役に立った(写真下)。

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開館時間:午前9時から午後4時半まで

休館日:毎週月曜日,国民の祝日(ただし「こどもの日」「文化の日」は無料開館),年末年始(12月29日〜1月3日)。詳しくはHPを参照。

鹿角市先人顕彰館HP http://www.city.kazuno.akita.jp/kyoui/senjin/index.htm

米沢から蔵王お釜(五色沼)

「これってジャズ?」の交差点2005年7月24日,中国・瀋陽故宮での『満文老档』発見100周年を記念して,学部生時代からの念願であった,内藤湖南の故郷・秋田県鹿角市に向かう。

本ブログの最初の記事は,内藤湖南の故郷訪問であった。

当日は,朝4時半過ぎに,当時住んでいた世田谷の自宅を出発。馴れない長距離運転のため,首都高速→東北自動車道に入ると,たびたび休憩時間をとった。大事をとって三芳SAでオイル交換をしていたため,予定時間を30分以上ロス。

午前10時前には山形県に入り,一路米沢へ。米沢は上杉氏の城下町で見たいところは山ほどあったが,今回は別な用事があったので次回へ後回し。で,当時はまっていた映画「SWING GIRLS」のロケ地巡りをした(写真上は,「これってジャズ?」の交差点)。それは別途報告するとして,昼食はロケ地巡りで時間が惜しいので,米沢駅で立ち食いの米沢牛の牛丼を食べる。

ロケ地を追って,米沢から高畠町→南陽市に移り,そのまま山形市内へ。

蔵王お釜(五色沼)午後3時過ぎに山形市内着。中村篤志(山形大学専任講師)・陽子ご夫妻と合流して,蔵王のお釜(五色沼)へ。途中,何度も宮城県と山形県の県境が変わる。聞けば,蔵王の頂上がどちらのに属するかで,一悶着あったとのこと。で,どちらでしたっけ? ←宮城県

蔵王温泉につかり,「ジンギスカン・シロー」へ。一説には蔵王がジンギスカン発祥の地という話を初めて耳にし,またご夫妻そろってモンゴル研究者なので,絶対ハズレなしと,全く不安を抱かぬままお店へ。美味しい羊肉をたんまり頂いて,宿舎の山形国際ホテルへ。チェックイン後,またご夫妻と少々お話しをして,夜10時頃にお別れした。中村先生,お忙しい中,ここに書けないことも含め,いろいろとお世話になりました。ありがとうございました。

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管理人プロフィール

出身地:群馬県前橋市

履歴:高校卒業後,日中学院より中国に3年間留学。印刷関連会社勤務を経て,日本大学通信教育部(史学専攻)から日本大学大学院文学研究科史学専攻(博士前期課程)へ。日本大学大学院文学研究科東洋史学専攻(博士後期課程)満期退学。博士(文学)

現職:非常勤講師ほか

専攻:清朝史・満族史・東北アジア民族史・東アジア史及び満洲語文書資料。

タイトルの“tere inenggi”とは満洲語で“その日”という意味です。

現在,歴史学・東洋史・中国語(漢語)・コンピュータ情報リテラシー等の講師をしてます。講義では,できるだけ多様な視座を提供したいと模索中です。

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