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研究(満族史・清朝史・東アジア史)や講義(歴史学・東洋史・中国語[漢語]・コンピュータ)等の備忘録

2007年度:東洋史入門(日本大学通信教育部)

最終試験:東洋史入門(日本大学通信教育部)

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講義はすでに終了しており,今日は9時半より10時半まで最終試験。

あらかじめ問題は提示してあるので,時間内では解答用紙に書き写すだけの作業。とはいえ,準備作業が大変であり,先週からいろいろと解答に関する相談が多かった。

でも,受講生のみなさんが自分自身の言葉で纏めてるのをみて嬉しく思いました。

一年間の感想も書いてもらったが,やはり卒論文献目録の作成方法や日本大学法学部図書館での実際の作業などが,現実面での一番の収穫であったようである。それから,明治時代の新聞を読み現代語に書き下す作業もそれに続いていた。

私たちの中国人観(及び朝鮮半島出身者)や,私たちの上の世代(父母・祖父母)の中国人観の根源の一端について,後期で実物の資料を用いながら学習したが,これについては受講生自身の思いが毎回レポートに現れているだけでなく,小生自身が新たに発見することも多く,取り上げてよかったと感じている。

第25回:東洋史入門(日本大学通信教育部)[最終講義]

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第25回は「近代における日中交流と中国人認識(12)」と題して講義した。

今回も写真が多いことから,パワーポイントを使用した。

内容は,ゞ畭綯羚颪寮立に日本が果たした役割のうち教育的な部分について検証した。◆嵎冕ー強運動」後に日本にやってきた中国人留学生について概観した。

,砲弔い討蓮て清戦争後の清国(中国)では,「洋務運動」から「変法自強運動」へと近代化の流れが本格化した。そのなかで,日本へやってくる留学生が年ごとに増加した。その経緯と受け入れの学校・人物について概観した。

△砲弔い討蓮ず能蕕領嘘慇犬脇清戦争翌年の1896年に,清国政府がおくってきた13名の官費留学生に始まる。1904年〜1905年を境に中国人留学生が増加するが,これは主に「西太后新政」及び科挙の廃止によるものであった。張之洞による優秀帰国留学生に対する優遇措置,及び科挙の廃止と日本留学との関係について検証した。

そして,留学生教育の変質と弘文学院(宏文学院)で学ぶ官費留学生と私費留学生との立場の違い,日本人との交流のなかで受けたこと・感じたこと・味わったこと,「祖国」への思いなどを紹介し,清末以降彼らがどのような行動を選択していくのかということに触れて講義を終了した。

孫文については,3限目「東洋史概説」(高綱博文先生)で講義しているとのことで触れませんでした。以上で,今年度の東洋史入門の講義は終了です。次週12月20日は最終試験です。

今年度の東洋史入門は,約3分の1がリピーターで,そのうち約半数が他学部学科専攻の受講生でした。毎週,ご清聴と励ましのコメントをいただきありがとうございました。

第24回:東洋史入門(日本大学通信教育部)

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第24回は「近代における日中交流と中国人認識(11)」と題して講義した。

講義には写真が多かったことから,パワーポイントを使用した。今年度の昼間スクーリング(東洋史入門)では初めて。

内容は,仝什澆療豕都内における,日清戦争に関連する史跡を数ヶ所紹介し,さらに日本各地の公共施設(学校・神社・仏閣など)を中心にばらまかれた,日清戦争「戦利品」について考察した。

,里Δ腺韻弔蓮崟鑞品」が置かれたある場所(空間)について,そこがいかなる場所なのかを確認し,結果としてその果たした役割について検証した。△任蓮ぁ崟鑞品」を公共施設に保存させたことは,日清戦争での勝利を示した確かな証拠として,「勝利の喜びを広く国民と分かち合う」ためであったが,それ以外にもたらされた影響について2点ほど指摘した。そしてこれらの「戦利品」が,(横浜とは別なかたちとして)その後,日本人の中国人観の形成に大きな役割をはたしたことに言及した。

また,試験問題を提示した。こちらの試験もあらかじめ解答原稿を作成しておいてもらい,当日は書き写していただく。問題は3つの設問からひとつを選び解答する。ただし,事例がそれぞれ複数あるので,全員が異なる回答内容となる可能性も否定できない。楽しみである。

来週(12月13日)が最終講義,再来週(12月20日)が最終試験です。いよいよ,孫文の登場か?

第23回:東洋史入門(日本大学通信教育部)

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第23回は「近代における日中交流と中国人認識(10)」と題して講義した。

内容は,(‖諭吉「脱亜論」の現代語訳を読んだ。日清戦争期における横浜華僑社会について概観した。

,蓮だ莉妓曲犬廼遒餌になってしまい,分かりづらかったとレポートにあったので,もう一度仕切り直し。現代語訳を用いた。「脱亜論」には興味を持った受講生も多かったようで,当時の背景などについてもう少し時間をかければ良かったようにも感じた。

△麓腓1894(明治27)年6月下旬以降,時々刻々移り変わる居留中国人の動き,それから日本政府や横浜中華会館がとった行動など,主に宣戦布告前後に焦点を当てて話をした。また,日清戦争中の商権回復運動にも触れた。この時期の「敵国人」となった中国人と日本人とがぶつかり合った横浜の姿を追った。

やはり身近な横浜の中国人を話題にしているためか,思い入れのあるレポートを書いたものが目立った。

講義終了後,1階ロビーにて受講生の方々とお茶を濁した。

残すところあと2週。こちらも来週テスト問題を発表します。

第22回:東洋史入門(日本大学通信教育部)

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第22回は「近代における日中交流と中国人認識(9)」と題して講義した。

内容は,福沢諭吉「脱亜論」を読んだ。「脱亜論」は,明治18(1885)年3月16日付日刊紙『時事新報』の社説として掲載されたものである。一般的には,「脱亜論」は「アジア蔑視」などの論理として知られている。

しかしながら,ゞ畴の研究からは,この社説が掲載当時はさほど問題とされなかったこと,∧‖自身がその後「脱亜論」に触れることはなかったこと,戦後になって改めて研究対象となり,否定的なコンテクストで読まれるようになったことをまず学習した。

その後,「脱亜論」が執筆される背景(朝鮮問題)と当時の福沢諭吉の考えを紹介してから『時事新報』に掲載された「脱亜論」を読んでいった。『時事新報』と『福沢諭吉全集』に掲載された「脱亜論」のコピーを使用した。

思っていたよりも分量があり,だいぶ駆け足どころか早口になってしまったところが悔やまれた。

第21回:東洋史入門(日本大学通信教育部)

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第21回は「近代における日中交流と中国人認識(8)」と題して講義した。

内容は,1877(明治10)年12月の駐日公使の横浜上陸,1874(明治7)年の台湾出兵,1891(明治24)年の清国北洋艦隊の横浜来航について学んだ。

1871(明治4)年に締結された日清修好条規は,双方ともに公使を置くことが条約文にあったが,清国がそれを実施するまでに6年程歳月が必要であった。また,台湾出兵についての話では,琉球人の立場を説明した。これらは,「近代的国際関係」と「華夷秩序」というそれぞれの立ち位置の違いを理解しないといけない。

意外だったのは,近代以前の琉球の「両属関係」について,「初耳だった」という受講生が多かったことである。これは年齢差で偏ることなく,どの世代にも見られた傾向である。日本の台湾出兵やその後の台湾統治理解のために不可欠な話であるが,きちんとまとまったかたちで準備してよかったと思った。

清国北洋艦隊の横浜来航では,また当時の新聞記事を配付した。清国北洋艦隊来航に関する新聞記事は,当時各所に散見できるが,丁汝昌の肖像画が入った『毎日新聞』の記事には,定遠号の近代装備に度肝を抜かれたある日本政府関係者が,饗応そこそこに退散し,日本の第1等軍艦の扶桑をその脚で見学するという「危機感」を描写した記事なども饗応記事と併記されてあった。普段肖像などを掲載することの少ない当時の新聞であるが,丁汝昌の肖像が大きく掲載されていたこと,清国海軍と日本海軍の主力艦とを見やすい表にしたことは,当時の人々の眼を引きつけるに十分であったろう。

受講生にとっても,このような新聞記事のレイアウトには興味を示したようで,最後のレポートにも自分の言葉で多く語られていた。

第20回:東洋史入門(日本大学通信教育部)

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眠い,ひたすら眠い。ネトランゼ。

第20回は「近代における日中交流と中国人認識(6)」と題して講義した。

内容は,明治12年の新聞記事2つを読んだ。とはいっても,現代語訳は前回で終了したので,さしあたり小生が現代語訳したものを準備,読みながら時代背景などを説明していった。演習や卒論で資料をどのように読み込んでいくのかという作業があるが,今回はそれを意識したやり方で講義を進めた。

新聞記事は,「阿片の予防」と「博奕の取り締まり(捕物帖始末)」に関する,横浜での日中「民間交流」を取り上げたもの。

記事には,日本人や西洋人が登場するが,記事でクローズアップされているのはあくまでも中国人。よく読めば理解できようが,そうでなければ,一部の中国人の犯罪が新聞記事になることで,中国人のマイナスイメージが植え付けられてしまうことも事実である。現在にも繋がるこのような新聞が果たす「隠された」役割についても言及した。

本日,昼間スクーリングの学年末試験に関する書類を頂戴した。そういえば,あと5回で本講義は終了,そして試験ですな。そろそろ学年末試験のことも考えなければ。

第19回:東洋史入門(日本大学通信教育部)

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学際期間中ですが,日大通信の昼間スクーリングだけは休講なく続いております。

第19回は「近代における日中交流と中国人認識(6)」と題して実習をした。

内容は,当時の資料を読む(5)として,明治10年11月の『横浜毎日新聞』社説の「中国人観」を読んだ。

今回の第5パラグラフで最後。つまりまとめの部分。

社説では,この当時すでに始まっていた日本人による「中国人蔑視」の理由を明らかにして,その後欧米人が日本人を蔑視する理由を見ていこうとした。

近代の日中関係は,西欧列強(西洋)による東アジア(東洋)への進出問題に対する東アジア側の対応如何によっては,ともに西欧列強に瓜分されてしまい,日本も中国も共倒れとなってしまう危険性が存在した。ただし,この時期は,その東アジア側の「主導権争い」手前の段階であり,そのようなことは社説では書かれていない。

むしろ「東洋」と「西洋」に拘り,「西洋人が心が驕っているので東洋人が屈辱をうけているというような考え方は,東洋人の『考え違い』であること。また,東西両人種(ママ)の間には数多くの矛盾があるから,東洋人は軽々しく西洋の開化した文化を真似せず,落ち着いて敵わない部分を修得すれば,西洋人でも内面から我を畏敬する心が生まれるようになるだろう」というような結びとなっている。

次週より,通常の講義に戻ります。まだしばらく明治10年代から同27年(日清戦争)前を見ていく予定です。

講義終了後,別な講義の補助をしているMさんと一緒に神田三崎町(日本大学通信教育部校舎)から五番町経由にて新宿駅まで歩いた。

第18回:東洋史入門(日本大学通信教育部)

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昨晩の秋期夜間スクーリング終了(21:35)の翌日1限(9:00)というのもアリかなと思った。でも,まだ1週目。ムリせず行きましょう。

第18回は「近代における日中交流と中国人認識(5)」と題して実習をした。

内容は,当時の資料を読む(4)として,明治10年11月の『横浜毎日新聞』の「中国人観」に関する社説の続きを読んだ。

前回に引き続き,第4パラグラフの現代語訳をした。こちらで単語の意味や用語解説をして,残りの時間で受講生が自分の言葉で現代語に置き換えるというもの。

今回は,一番イメージしやすく理解しやすい内容。加えて,受講生の現代語訳もこなれてきて,読みやすくなってきている。ただし,原文でしか理解できない官吏の微妙な地位の高さなどもあり,それを現代語訳で表現させることの難しさもあった。

次週は,最終第5パラグラフ(11行分)をやります。社説のまとめ部分です。

第17回:東洋史入門(日本大学通信教育部)

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朝は半袖だと意外と寒い。

第17回は「近代における日中交流と中国人認識(4)」と題して実習をした。

内容は,当時の資料を読む(3)として,明治10年11月の『横浜毎日新聞』の「中国人観」に関する社説の続きを読んだ。

前回に引き続き,第3パラグラフの現代語訳をした。こちらで単語の意味や用語解説をして,残りの時間で受講生が自分の言葉で現代語に置き換えるというもの。

社説で一番難しい内容が今回の部分。遠回しな言い方あり,潰れて読めない活字あり。でも,訳はつけないといけないので,何とかがんばってもらった。

次回で,社説を読む実習を終了しようとしたが,どうやらもう1パラグラフあり,当初の予定より延長は必死。

第16回:東洋史入門(日本大学通信教育部)

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先週10月4日は「日本大学創立記念日」で休校でした。

第16回は「近代における日中交流と中国人認識(3)」と題して実習をした。

内容は,当時の資料を読む(2)として,明治10年11月の『横浜毎日新聞』の「中国人観」に関する社説の続きを読んだ。

前回に引き続き,社説の第2パラグラフの現代語訳をした。こちらで,言葉の意味や用語解説をして,残りの時間で受講生が自分の言葉で現代語訳に置き換えるというもの。

前回は,だいぶ出来が悪かったので(初回で出来ないのは「想定の範囲内」で,まったく気にしてない),今回は,書き下しと句読点を打ったものを配付し,原文と付き合わさせた。いきなり小生が書き下したものからスタートさせると,原文(「第一次資料」)を読む意味がないので。

↑なんて話をしてたら,講義終了後に複数の受講生から,史学概論のS先生の講義で同じようなこと(「原文」と「二次的な書き下しされた文章」との関係)を学んでいて,この講義でリンクしたと言われた。複数の授業で学んでいることが,相互的に捉えられるというのは,いいことですよね。こちらも嬉しい。

第2パラグラフ以降を自分自身で予習し,「任意の宿題」として提出した受講生が8名(今日の受講者数は24名)いた。そのほかにも,提出しなかったけれど予習してきた人がそれなりにいた(ノートを見せてもらった)。出来は,ほとんどがボロボロだけれど,「できなかったところ」「分からなかったところ」が分かれば「狙いどおり」なので,こちらとすれば大満足です。いずれにしても,今日訳し直したので,力はついたはず。

社説を読むという実習作業は,あと2週おこないます。明治10年は,まだ福沢諭吉「脱亜論」前で,「中国人観」が変化しつつある時期ながら,今読んでいる社説は,まだ冷静に分析できていたころのもの。

講義終了後に,高綱博文先生のお供をして昼食・お茶しました。ごちそうさまでした。その後,所用にて,神田三崎町(日本大学通信教育部)から本郷三丁目(東京大学)まで歩いたよ。歩いてみるとたいした距離じゃぁないけど,気持ちいいですね。良い天気で良かった。

第15回:東洋史入門(日本大学通信教育部)

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今朝は,細かいお仕事があったので,早めに校舎に乗り込んだ。

第15回は「近代における日中交流と中国人認識(2)」と題して講義・実習をした。

内容は,当時の資料を読む(1)として,明治10年11月の『横浜毎日新聞』の「中国人観」に関する社説を用いた。最初,横浜毎日新聞の紹介をして,それから実習に入った。

前回講義した,幕末より明治初期における日中交流と中国人に対しての意識について,一方的に紹介するだけでなく,ー尊櫃痢崑莪貅〇駑繊廚鮗講生自身が読むことで,それそれ個人ごとに理解をしてもらい,△△錣擦董せ駑舛鯑匹猯呂鰺椶Δ燭瓠覆よそ「演習」科目でおこなう)の練習をした。

いずれ,演習や卒業論文で原文を読むために,今のうちに免疫をつけておこうというねらいもある。とはいえ,いきなり資料を渡して「読みなさい」では演習になってしまうし,混乱してしまうので,当時の語彙やカナの読み・意味は,小生が解説・板書し,最後に受講生がこれらをもとに現代語に直した。

しかしながら,やはり初日の作業。文字を置き換えるどころか,3行ほどに纏めたものや,全然訳されていないものなど,小生の予想外のものも少なからずあった。こういう作業は,おこなう方も指導する方も難しいことがよくわかった。さしあたり,数をこなすようにしよう。

来週10月4日は,日本大学創立記念日で休校。なので,次週の講義は10月11日になります。

第14回:東洋史入門(日本大学通信教育部)[後期初回]

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今日から大学後期授業が始った。とはいえ,今週は通信教育部のみで,理工学部・短期大学部(船橋校舎)の講義は来週から。来月中旬からは,通信教育部の秋期夜間スクーリング(東洋史特講機10月24日〜12月12日)とメディア授業(東洋史概説;10月15日〜12月22日)も始まる。これらが終了すれば年末だ。HIKKOSHIまぢか。

第14回は「近代における日中交流と中国人認識(1)」と題して講義した。

内容は, 岾国」以前の日中交流,横浜「開港」と中国人の登場,C羚饋佑箸慮鯲と畏敬の念。

江戸末期の開国事情とペリー二度目の来港で通訳兼書記をつとめた羅森,横浜や江戸にやって来た西洋人の随伴として加わった中国人などを紹介するとともに,彼らがもたらした「西洋文化」と滞在の問題点について説明した。

さらに,幕末より明治初期において,下級官僚や一般庶民が,直接交流した中国人の記録から,この時期の中国人をどのように見ていたのかということについて考察した。

その際,重要なのは,この時の日本の置かれた立場である。その部分を聞き逃す(見落とす)と,その時期の中国人に対する認識が全く違ったものとなってしまうのである。

講義終了後,夏休みの宿題(「文献目録」)を回収した。

「国立国会図書館」での「実習」作業

読んでの通り,国立国会図書館での「実習」作業。

日本大学通信教育部の昼間スクーリング「東洋史入門」で国立国会図書館に行ったことのない受講生が多いことから,前期最後の講義でアナウンスし,有志を集めて行くこととした。

9時15分に入口銅像前に集合。参加者は小生を入れて8名,うち3名は東洋史入門を受講していない学生。

せっかく参加するからにはということで,初心者のための「国立国会図書館」の利用方法をまとめた簡単なプリントを配付した。そうとう昔に「国立国会図書館の使い方」なるウェブサイトを運営していたことがあるが,以前とは国会図書館もシステムが変わってしまったため,新たなものが必要。ただし,小生も以前ほどこちらに来なくなってきており,現代版「国立国会図書館の使い方」は作成できそうにない。

大部分の方は,こちらでする作業または手続きを決めてきているので,小生はまったくお手伝いすることなし。自分に関係する資料集めに専念した。

昼食を食べて散会。そのあと有志4名で平河町の「可否道」へ。柿右衛門を愛でつつ,お茶…いや珈琲を濁し,…いや,あそこの珈琲は濁っていない。…しばし歓談して13時前に解散した。

本日参加された方々,お疲れ様でした。本日お配りしたプリントを参照しつつ,是非とも卒論作成などにお役立て下さい。

写真は取り忘れました。

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国立国会図書館HP:http://www.ndl.go.jp/

de9e162b.jpg2007年9月3日、写真追加。

第13回:東洋史入門(日本大学通信教育部)[前期終了]

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今朝,左脛がこむらがえりになって痛い。まだ痛い。

第13回は「『東洋史』論文執筆の作法(5)」と題して実習(3)をした。

内容は,|羇峪邯蛎紊錣蠅箸覆襦峅撞戮澆硫歛蝓廚鮟个掘き⇔戮砲△詁本大学法学部図書館で実習をした。△量榲は,前回同様「研究書・研究論文の検索方法」+「文献目録の作成」にある。

とりわけ,△硫歛蠅蓮屐愨艦世離董璽沺焚沼蠅任皺帖法戮魴茲瓠い修諒幻ヌ槝燭鮑鄒しなさい」とした。ほとんどの受講生がまだ卒論指導を受けていないようなので,この時間を使って最低3本あげさせた。一応,講義の実習なので,今回も法学部図書館三崎町書架所蔵のものに限定した。やはり実物を手にとって判断してもらうため。

提出されたものからは,現在の受講生の興味関心事(卒論のテーマにしたいこと)がよく分かる。

,痢峅撞戮澆硫歛蝓廚蓮ず2鵑留篦浩上で題目は同じく「『卒論のテーマ(仮題でも可)』を決め,その文献目録を作成しなさい」。こちらは日本大学法学部図書館だけでなく,本学経済学部図書館や本学文理学部図書館・本学史学研究室などの「大学図書館」,また一度は「国立国会図書館」にも足を運んでもらうこととした。本数は10本前後,ウラ面(別紙)には足を運んだ図書館なども記入してもらう(「課題提出例」も配付)。

聞けば,ウチの師匠も夏休みの課題として卒論の文献目録を書かせていたと,小生の大学院時代の先輩である教務課の市川さんが言っていた。あら。

それから,夏休み中(夏期スクーリング)での「卒論指導手帳」作成と,第1回の「一般卒論指導」を薦めた。また,8月12日(日)におこなわれる「卒業論文執筆体験談」への聴講(と,その後の「史跡見学会」[今年は靖国神社と遊就館])への参加も紹介した。小生も現在は参加予定なので,「夏休みの課題」で不明な点があれば,その時に聞くよう,話をした。

「夏休みの課題」提出は後期最初の講義(9月20日)。ただし,回収後にこちらで確認して出来が芳しくない時には,赤字を入れて再度書き直しをしてもらうこととした。9月末から12月末までありますので,何度か行き来するものもあるでしょう。

前期の「東洋史入門」の講義は今日で終了。後期の始まりは,2ヶ月後の9月20日です。

第12回:東洋史入門(日本大学通信教育部)

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第12回は「『東洋史』論文執筆の作法(4)」と題して実習(2)をした。

内容は,〜芦鵑痢嵎幻ヌ槝榛鄒の実習」の解答例を配り,⇔戮砲△詁本大学法学部図書館での実習をした。△量榲は「研究書・研究論文の検索方法」+「文献目録の作成」にあった。

とりわけ,△録渊餞曚納講生が同じ場所に固まらないように,2つから1つを選ぶ選択制とした。選択肢は2つで,1つは法制史(4階),1つは宗教(3階)に関するもの(テーマは非公開・笑)として,3階と4階にうまく散開するように考えた…,がどうも歴史コーナーに固まってしまったようだ。う〜ん。

前回と同じく,パソコン検索だけではすぐにヒットしないようにしたが,最初に概説書の最後にある文献目録を確認するとか,または図書分類をみて法制史や宗教のコーナーにいくのかと思いきや,どうも慣れていないらしく,書名から入っていく受講生が目立った。概説書と研究書と工具書の違いを理解しにくいらしい。でも,「こういう無駄な時間を過ごすのも必要だぉ」と自分に言い聞かせながら90分を過ごした。

できは,小生の満足度からいえば70%。こなしきれない受講生が目立つ。何人かの受講生には,「自分が卒論を書くときになったら,今日やった実習がもっと身近に感じるかも」と言われた(←小生が「言った」のではなく「言われた」)。

しばらくお休みしていたM君が出てきた。よかった。

ところで。

法学部図書館では,主に書誌データが開架されているため,全く今回も論文雑誌までたどり着かなかった。先行研究を集めるには,書誌データと論文雑誌ともに不可欠。

やっぱり,論文雑誌の論文も手にすることで,文献目録の作成方法も分かってくるでしょうし。論文名と書誌名とを混乱させることなく。

論文雑誌はどうやって検索させよう,前期も来週で終了だし,と考えていたところ「良い案」が閃いた(!)ので,ラウンジにいた受講生らに提案した。小生が学生時代によく同じゼミ生とおこなったことです。受け入れられましたので,来週講義時間中で発表したいと思います。うんうん。

ラウンジにいた受講生に提案をしたのち,高綱先生と昼食。そういえば,今年度は初めてでしたね。ごちそうさまでした。

次週は,前期最後の講義です。実習(3)をやってもらいますが,夏休みの宿題も大いに(?)だしたいと思います。

第11回:東洋史入門(日本大学通信教育部)

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第11回は「『東洋史』論文執筆の作法(3)」と題して講義及び実習(1)をした。

内容は,〜芦鷸間がなくてできなかった「文献目録の表記方法」,日本大学法学部図書館(三崎書架)での実習。

とりわけ, 嵎幻ヌ槝燭良週方法」では,「表記例」を記したプリントを配付しての,論文名での「一重カッコ」と書籍名での『二重カッコ』など,ごく基本的なことを説明した。つづいて,「作業データ(検索サイトでデフォルトに出力されたもの;内容はバラバラ)」を配付し,それを「表記例」に則って整理・清書しなおした。

△蓮ぞ綉清書が終わった受講生から,順次法学部図書館に行ってもらい,課題(3つより1つを選択)に取り組んでもらった。この目的は「工具書の利用」。当然だが,図書館の「蔵書検索」ではヒットしないものを選択。まっすぐに答えにはたどり着けません。ある意味,ムダな時間を過ごしてもらう。「この本は関係ない」とか「この本では見つからない」と知ることもひとつの経験。図書館での作業は,「結果ではなく,調べる過程」を学んでもらいたかったが,どうであったろうか。

しかしながら,文献目録そのものを作成する(ようするに,書籍・論文を順番に並べ替えて清書する)受講生が大半を占め,遅刻常習犯を除き(減点されていることに気づかないのだろうか。救済策はすでに「ガイダンス」で連絡済み),図書館作業にたどりつけない受講生が複数いた。受講生には,頭で考えずに数をこなすことで,身体で覚えてもらいたいと小生自身は考えているが,しかしながら,教室での講義の限界であろうか,現物を見ずに文献目録をつくることの難しさを知った。来年度からは,「参考文献目録の作成(練習)」だけで1回分ですな。

でも,「参考文献目録の作成」なんて,小生の時代は誰にも教わらなかった。気に入った論文をみてまねて覚えたものだったが,どうやら時代は変わったらしい。詳しくは知らないが,聞くところでは,工具書も満足に扱えない院生(修士だけでなく博士も)が増えているらしいのだ。

次回は,「研究書・研究論文の検索方法」(+今回前半でおこなった「文献目録の作成」)を,90分じっくりかけて実習する予定。

第10回:東洋史入門(日本大学通信教育部)

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第10回は「『東洋史』論文執筆の作法(2)」と題して講義した。

内容は,.僖愁灰鵑鮖箸辰拭崚賤了法弩Φ羇愀犬離ΕД屮汽ぅ鉢卒業論文を書くために必要な書誌・論文の検索サイトの紹介をおこなった。

とりわけ,書誌・論文の検索サイトについては,重要な検索サイトについて,異体字シソーラスや書誌(『〜先生××記念論集』など)の論文データの有無・探し方,等の基礎的なことについて実際にインターネットにつながれたパソコンから実践した。

今回,配付した「文献目録」の記入例については,時間の都合で講義できなかったので,次週にまわすこととした。

講義終了後,次週以降実習する日本大学法学部図書館利用に関する打ち合わせをした。

第9回:東洋史入門(日本大学通信教育部)

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いくら暑くてもいいんですが,前橋生まれ・育ちの小生には,湿気だけはダメです。耐えられません。

第9回は「『東洋史』論文執筆の作法(1)」と題して講義した。

内容は,‖膤悗任痢嵎拔」の性格と内容,▲譽檗璽箸搬艦世琉磴ぁき「オリジナリティ」と「先行研究の整理」の大切さ,ぁ崚賤了法彜慙△旅具書・入門書などについて紹介した。

とりわけ,論文の体裁については,小生の卒業論文(の半分)をリライトした拙稿「清初の旧漢人と八旗漢軍」(『史叢』67,2002年)を配付した。本来ならば,一番新しい論文がよいのであるが,通信教育部とのつながりのために,敢えて卒論(のリライト)を出した次第。まったく論文内容には触れないまま,「はじめに」や「注釈」の性格を視覚的に理解してもらった。それから引用した漢文については,できるだけ「書き下し」か「日本語」にするのが望ましいこと(小生自身の反省点)として紹介した。

また「オリジナリティ」に関しては,歴史学では,書き手の「感性」でなく,既存の研究(先行研究)を読むことがそれに相当することを説明した。教える側は分かっているのだが,聞いている側は勘違いしやすいので,重点的に説明した。

来月(来週ではない)には,法学部図書館・経済学部図書館での簡単な実習もおこなう。先週聞いたところでは,約半分の受講生が,法学部図書館・経済学部図書館のいずれにも行ったことがないという。これはゆゆしき事態である(←どんだけ〜!)。なので,今週と次週で基本的な作法を紹介し,その後法学部図書館か経済学部図書館で実践してもらう予定。

第8回:東洋史入門(日本大学通信教育部)

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関東地方は今日梅雨入りしたそうな。

第8回は「『史料』と『資料』」と題して講義した。

内容は, 嵶鮖乏悄廚函峪忙駑繊廚箸隆愀犬砲弔い導悗咫き△修亮体磴箸靴董に洲語文書の利用と清朝史研究などについて紹介した。

とりわけ,前者では「史料批判」や「立論の根拠となるものを明示」することについて,1つ2つ例を出して説明した。後者では,^枳餌欧砲茲辰道拉曚気譴拭斑羚顱媛δにおける,漢文以外の史料について,◆嵎垰嫉卜繊廚寮格,「档案資料」を「資料」として,歴史を読み解いた先学の研究を選んで紹介した。

第7回:東洋史入門(日本大学通信教育部)

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第7回は「新しい世界像を捉えるために」と題して講義した。

「ヨーロッパ」「アジア」という二分法が,ヨーロッパの思想家によって想起された「幻想」であるならば,「世界」はどのように捉えるべきなのか。現在でも理論的な解明は進んでいないが,‐絽鏡賚宗複隠牽坑后檻隠坑沓鞠)の「十三地域論」や現在の高等学校教育現場での分類を分析し,▲Εーラーステインの「近代世界システム論」について簡単に紹介した。

ウォーラーステインの議論は,世界をひとつの単位として分析するとしながらも,|蠑歸・概念的に取り繕ったものでなく,■隠祇さ末から17世紀はじめに根源を設定し,8渋紊寮こΔ砲ける不平等を,個々の国家や社会の近代化の進度の遅速に帰結させないものとして評価することができる。そのうち,あるアジアの一例を応用として紹介した。

最後に,これまでの前期前半部分の総まとめをした。

講義終了後は,1号館1階で前年度の受講生Tさんとお茶を濁した。

次週以降の前期後半部分は,実際に東洋史研究をしていくうえで必要なツールや具体的な資料の検索方法などについて紹介していく予定。

第6回:東洋史入門(日本大学通信教育部)

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第6回は「幻想としての『アジア』」。

ヨーロッパと直接利害対立をもつ西アジアはともかく,さほど利害関係を持たなかった中国像について,。隠契さ後半から18世紀初め,■隠浩さから20世紀はじめの,イエズス会宣教師(,里漾砲肇茵璽蹈奪兒彖朮箸竜述を考察した。

イエズス会宣教師は,ブーヴェ『康煕帝伝』(1697年)を用いたが,同書はいつ読んでもあきない内容である。

そのほか,モンテスキューやマックス=ウェーバー,「征服王朝論」で知られるウイットフォーゲルがみた「東洋」を検証し,彼らの論理などが,ヨーロッパによる植民地獲得の「大義名分」とされていったことを学んだ。

それにしても,モンテスキューなんて中学公民でロック・ルソーとともに“人権思想家”として始めて習うものだけれど,また再び大学の講義(しかも「東洋史入門」)で取り上げられるなんて,とても興味深いと思いませんか(←誰に言っているんだろう)。

第5回:東洋史入門(日本大学通信教育部)

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昨日,ちょっとリフレッシュできたので,調子は悪くない。

第5回は「『アジア』とは何か」。アッシリア語のasu(日の出)が語源と言われる「アジア」が「東洋史」で扱われる地域であるが,これは多くの場合,ヨーロッパとアジアという二分法の意味合いを含むことを軸として話を進めた。

特に,ヨーロッパが創り出した「アジア」像,「アジア」的な生産様式などを紹介し,この理論に含まれる考え方の理由を明らかにした。実はこのような考え方自体は,現在の日本人が“西洋側の立場”で,アジアやイスラムを見る基層になってしまっていたりなんかする…。

また,オスマン帝国にみるアジア人に対する「幻想」を検証したが,オスマン帝国そのものの予備知識がない受講生も複数名いた。昨年度・一昨年度の「歴史学」で取り上げたが,やはりイスラムは後期のトピックでもう一度深く掘り下げる必要があると思った。

講義最後のまとめレポートで一番多かったコメントが「自称」と「他称」の名称に関するものであった。受講生の多くがこのキーワードを取り上げたことは,個人的にはいまさらながらに意外であった。

それから,前回くどくど書いた受講生の講義の理解度に対して,昨年度から受講されている方(人生的には大先輩)から心配していただき,併せて「任意のレポート」の中にご意見を書いていただきました。ありがとうございます。

小生自身,昨年度までの「歴史学」を教えるのは難しかったですが,「東洋史入門」を教えるのはさらに難しい(「入門」ほど難しいものはない)と感じています。でも,ご指摘いただいたように,授業そのものはレベルはそのままで,昨年度のやり方を本格的に取り入れて進めていきたいと思います。

まだまだ小生も発展途上,受講生のみなさんとともに学んでいきたいと思います。よろしくお願いいたします。

それから遅刻者対策は次週よりきちんと講じて点数を引かせていただきます(時間と手間をかけず)。救済策は初回ガイダンスで話してあるとおりです。小生の講義は途切れるし,きちんと聞いている受講生にも申し訳ないので。やりますよぉ〜。

第4回:東洋史入門(日本大学通信教育部)

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早朝,京浜東北線で発生した人身事故のため最大50分以上の遅れがでたとのこと。そのため,講義にも遅刻者が多数でたが,遅刻扱いしないこととした。

今回の内容は途中から入ってきた受講生には難しかったかもしれない。

第4回は「白鳥庫吉と東洋史学」。前回,「東洋史学の成立」で白鳥庫吉と那珂通世を紹介したが,今回は「東洋史学の創始者」と称され,ヨーロッパの歴史学を修めた白鳥庫吉が東洋史学に果たした役割について考えた。

幕末の1865年に生まれ,1942年に没した白鳥の研究・教育は近代日本の成立・教育と同じベクトルを持つ部分がある。これを当時の日本の置かれた状態(近代日本の成立→日清戦争→日露戦争→アジア太平洋戦争)をイメージしてもらいつつ,講義を進めた。

ただ,最後のレポートを見ると,この試みは必ずしも成功したわけとは思えない。受講生の一部分に,「明治以降の日本では,それほど異常なことではなかった」ある思想的な部分が理解できないという。複数名の受講生のレポートは突き放したような,こちらが危惧した内容となっていた。東洋史学の歴史については,現在の私たちの視点から捉えようとすると誤解を招きやすいために細心の注意を払うが…,まだまだ力不足といったところ。

 

追伸:

一日考えた結果,受講生にも歴史学の理解度に差があることを忘れていた。

小生が言いたいのは,この講義を受ける前に,一般教養としての歴史学,それから史学概論などを受講しているか否か,またスクーリングか科目履修か,またどの先生かなど,この講義にたどり着く前の履修内容が,受講生ごとにバラバラであることを私が知る必要があるのかもしれない。

文理学部ならば,必ず習うべき内容は,覚えているかはともかくとして履修しているので,その上に一歩乗せて話すことを考えるが,通信教育部では,全くこのような考えはあてはまらないのである。

学年最初の「受講生記録」に,今後は卒論指導の深度もいいけれど,履修過程を書き込んでもらうことも考えないといけないのかもしれない。(2007年5月18日夜記)

第3回:東洋史入門(日本大学通信教育部)

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受講者名簿の確定版が届く,43名。ただ当初名簿に名前がありながら,結局来れなくなってしまった昨年度の受講生さんがいて残念。

本日の出席者は35名,出席率81%(←なんかすごくないですか?)。

第3回は「東洋史の成立」。前回のヨーロッパ中心の歴史観より話を進めて,‘本で形成された「東洋史」という概念,近代ナショナリズムと「東洋」に関することを学んだ。

白鳥庫吉(1865−1942)と那珂通世(1851−1908)の二人を取り上げ,彼ら自身が学んできた歴史や研究との関係から,「支那史」→「東洋史」への改称を,当時の日本が置かれた歴史的背景を説明しながら理解させた。このあたりは,現在の私たちから見れば,微妙な内容を含むだけに細心の注意を払った。

それから,今日はレジュメの誤字が多くてすみませんでした。猛省します。

講義終了後は,以前の受講生さんたち(今年度も含め)としばらくの時間,お茶を濁した。

第2回:東洋史入門(日本大学通信教育部)

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朝から清々しい天気でした。起きたとき,「寝坊したかな!」とびっくりしたけど,時計を見たら,朝5時半前でした。明るくなる時間も早まりましたね。

現在のところ,登録者数と登校者数がかなり近い。

第2回は「『東洋史』とは何か」。前回の世界地図のコメント,及び歴史における「東洋」「西洋」,「世界史」とヨーロッパ,「世界史」と「東洋史」などについて学んだ。やはり,「東洋」の重要なキーワードがイスラムであることは言うまでもない。

今回学んだ,高校におけるヨーロッパ史中心の「世界史」について,手元にある,高校世界史の検定済教科書(「世界史A」「世界史B」。2006年4月に東京都神田三省堂書店にて購入),8冊に掲載されている世界地図を調べたところ,1社を除き,みなヨーロッパが真ん中に置かれたもの(つまり,日本が極東にある)であったことは極めて興味深かい「発見」であった。

専門家のあいだでは,あたりまえの情報なのかもしれないが。

次週は,GWなので休講。次回は5月10日です。

第1回:東洋史入門(日本大学通信教育部)

教室は303講堂。現在の登録は38名,でも最終的には40名を越えるとのこと。東洋史入門は現在,テキスト不在で科目履修できず,スクーリングのみの開講なので,人数もそれなりにいるらしい。

受講生名簿をみたら,見慣れた名前がかなりいた。8名ぐらいかと思っていたら,10名をこえていた。昨年度と一昨年度の歴史学の受講生がほとんどで,大変驚きました。

第1回は「ガイダンス」。他のコマと同じく,「成績評価の方法や基準」,「試験の方法」などについて説明。歴史がただの「暗記」や机にしがみつく学問でないことを説明し,学校周辺にある中国関係専門書籍店と愛全公園(「周恩来ここに学ぶ」石碑)などを記した,神保町マップを「時間があったら是非廻ってください」と渡した。

ガイダンス終了後,「受講生名簿」を記入してもらい,さらに来週以降につなげる作業として「世界地図」を描いてもらった。注意すべきは,.罅璽薀轡大陸とヨーロッパの大きさの比率,東洋と西洋をどこで区切るか,などを記入してもらった。特に△砲弔い討蓮い海離好ーリング前半をとおして,核心部分としてお話しすることになります。

ケータイを忘れたので,写真はなし。

本日の東洋史入門で,今年度前半期のルーティンワークが出そろいました。まずは夏までまっしぐらです。みなさん,よろしくお願いします。

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管理人プロフィール

出身地:群馬県前橋市

履歴:高校卒業後,日中学院より中国に3年間留学。印刷関連会社勤務を経て,日本大学通信教育部(史学専攻)から日本大学大学院文学研究科史学専攻(博士前期課程)へ。日本大学大学院文学研究科東洋史学専攻(博士後期課程)満期退学。博士(文学)

現職:非常勤講師ほか

専攻:清朝史・満族史・東北アジア民族史・東アジア史及び満洲語文書資料。

タイトルの“tere inenggi”とは満洲語で“その日”という意味です。

現在,歴史学・東洋史・中国語(漢語)・コンピュータ情報リテラシー等の講師をしてます。講義では,できるだけ多様な視座を提供したいと模索中です。

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