tere inenggi

研究(満族史・清朝史・東アジア史)や講義(歴史学・東洋史・中国語[漢語]・コンピュータ)等の備忘録

日中学院短期留学(1990年6月23日〜8月10日)

北京駅(北京火車站)[1990年7月]:中国北京市東城区

北京駅:正面写真は1990年7月18日の日付。 おそらく小旅行で山西省大同に行く時前に北京駅で撮影したもの。大同小旅行については,また後日。

1903年から朝陽門(前門)横に北京駅があったが,現在の北京駅は,1959年に十大建築のひとつとして建てられたものである。

写真上は,駅入口(進站口)。北京西駅ができる前(西駅竣工は1996年)なので,列車の巨大ターミナル駅はここしかなかった。現在では禁止されているのか,駅前にタムロしたり,さらには宿泊する人は見られないが,この当時は24時間中駅前はこのような有様であった。

北京駅:全体写真下は,北京駅の外観。駅正面には,この年1990年9月22日〜10月7日に開催された,第11回アジア競技大会(亜運会)のシンボルマーク(会徽)。それから,だいぶ見えにくいが,両端には対聯のように,右側に「亜運為国増栄誉」,左側に「我為亜運添光彩」,また入口上には,横書きで「文明安定迎遠客,優美和諧開亜運」と記されている。

来年は北京オリンピック,2010年には上海万博が開催されることはよく知られているが,同年広州で再びアジア競技大会(亜運会)も開かれる予定である。

天安門広場[1990年6月]:中国北京市東城区

天安門広場1990写真(一番上)は1990年6月24日に撮影したもの。

天安門広場の原型は,長安左門と長安右門そして大清門(明代・大明門→清代・大清門→中華民国・中華門)に囲まれた空間である。これは1949年の中華人民共和国成立時でもそのままであった(ただし,千歩廊は民国初期に取り壊されている)。当時の記録フィルム.や記録などを見てもよくわかる。現在は,ここに50万人が集まることができるという。

中国国家博物館広場の東側には国立国家博物館(写真上から二番目)がある。明・清代,この場所は王朝経営のための六部のうち5つの衙門(役所)と宗人府(皇族を管理する役所)などが置かれていた。

国立国家博物館の名称になったのは2003年2月末から。それまでは向かって左側が中国革命博物館,右側が中国歴史博物館と別の博物館であった。1999年に北京を訪れた際,すでに改装中で博物館は半分ほどしか開放していなかったことを覚えている。

この入口には,香港返還時には返還のためのカウントダウン時計が置かれていたが,現在は来年のオリンピックカウントダウン時計に替わっている。国立国家博物館は今年1月末から再び拡張工事のため2010年まで暫時閉館となっている。

人民大会堂広場の西側は人民大会堂(写真上から三番目)がある。毎年3月には,中国人民代表大会と中国人民政治協商会議が,5年に一度は中国共産党全国代表大会が開かれている。

中国国家博物館と人民大会堂は,ともに以前紹介した中央民族宮とともに,中華人民共和国建国十周年を記念して1959年に完成した十大建築に数えられている。これにあわせて1954年,長安左門と長安右門そして中華門を取り壊した。人民英雄紀念碑が建ったのは1958年のことである。人民英雄紀念碑の当時の写真もあるが,また別な機会に紹介できればと考えている。

天安門広場(今・清代)綿貫哲郎作成・無断使用禁止一番下の図は,現在の天安門広場の位置図であり,赤で記してあるのは清代(乾隆年間)に存在した衙門・門などである。

つまり,私たちが知る天安門広場は,中華人民共和国成立十周年記念のために拡張されたものであり,当時の新中国のポジティブな政治姿勢をうかがい知ることができる。

なお,毛主席紀念堂が完成するのは,そのまた18年後の1977年5月のことになる。

北京友誼商店[1990年6月]:中国北京市朝陽区

友誼商店・東側(2002)写真は中国北京市朝陽区建国門外にある北京友誼商店。写真は1990年6月24日の日付。正面入口ではなく,東側から撮影したもの。現在は,写真前面左側の低い建物はスターバックス(星巴克)になっているなど,だいぶ様変わりしている。

友誼商店は,1964年に周恩来の指導で設立された外国人向けの総合百貨店で,中国国内の大都市には必ずあった。北京友誼商店は天安門から東へまっすぐの建国門外に位置している。1992年7月以降に始まる中外合資・合弁の導入,及び国内資本の参入・拡大により,友誼商店も苦戦していたが,1997年5月に北京西単友誼集団として,サービスの向上をはかっている。

この短期留学時期(1990年6月末〜7月末)は,モノは友誼商店ぐらいにしかなく,留学先の北京語言大学(旧・北京語言学院)からわざわざ買いに行くしかなかった。さらに,当時外国人は兌換券(外滙兌換券)を使うことになっていたなど,17年後の現在からは考えられない不便な生活を送っていた。でも,今から考えると不便さが楽しかったし,外国人(外滙兌換券を持っていたから)だからこそ楽しめたこともたくさんあった。少なくとも,この時の経験はムダになっていない。

2002年の留学時には,タクシーの運転手に「そんなところ行く必要あるの?」とツッコまれるくらい地元でも見向きされなくなっていたが,ロイヤルゼリーをおみやげで買ったり,懐かしさとまとまったおみやげ購入にはついつい立ち寄ってしまうのであった。

ところで,北京には友誼賓館友誼商店と「友誼」を冠するものと,友好賓館友好医院と「友好」を冠するものがある。すべてが該当するわけではないが,前者は旧ソ連との(友誼賓館は,もとは旧ソ連技術者の宿泊施設;友誼商店は,旧ソ連の人たちが買い物をしたデパート),後者は日本との関係がある場所であることは極めて興味深い。

吉祥劇院と金魚胡同[1990年6月]:中国北京市東城区

吉祥劇院(1990)写真は1990年6月26日に撮影したもの。この時,小生は日中学院短期留学中で,当時20歳。同校の本科生は,2年生の6月下旬より7月末まで5週間の中国の大学での短期留学が必修になっている(詳しくはこちら)。

吉祥劇院は,金魚胡同の北側に位置していた。劉燮(内廷大公主府総管)が光緒32年(1906)に創建され,数々の名優が演技するなど,老北京でも有名な劇場であったが,1993年に東安市場改装(下記参照)にあわせて取り壊された。2007年7月に北京吉祥大厦が建てられ(10月から営業を開始),1階に吉祥劇院が入る予定。

金魚胡同(きんぎょフートン)とは,北京中心部にある胡同のひとつで,東は東単北大街から西は王府井大街までの約600メートルが該当する。地図はこちら。胡同(フートン)とは,伝統的な北京の街並みを意味するが,路地や“みち”を指すときにも用いられる。

金魚胡同の由来は,清末の大学士・那桐の屋敷(那家花園)にあった金魚池より命名されたという。民国元年(1912)8月,孫文と袁世凱が会談した後,那家花園で宴会が催されたほか,同9月には元清朝摂政王載灃(溥儀の父)が隆裕太后(エホナラ氏;光緒帝の皇后;西太后の姪)の命を受けて孫文・黄興・陳其美等をもてなした場所でもある。

現在の金魚胡同は道幅が広がってしまったが,1990年当時は清末民国初そのままで,自動車2台がすれ違えるかどうかという狭さであった。

その金魚胡同の南側には,まだ“老北京”の東安市場()(改装前;新東安市場は1993〜1998年)や東来順が残されていた。

 

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管理人プロフィール

出身地:群馬県前橋市

履歴:高校卒業後,日中学院より中国に3年間留学。印刷関連会社勤務を経て,日本大学通信教育部(史学専攻)から日本大学大学院文学研究科史学専攻(博士前期課程)へ。日本大学大学院文学研究科東洋史学専攻(博士後期課程)満期退学。博士(文学)

現職:非常勤講師ほか

専攻:清朝史・満族史・東北アジア民族史・東アジア史及び満洲語文書資料。

タイトルの“tere inenggi”とは満洲語で“その日”という意味です。

現在,歴史学・東洋史・中国語(漢語)・コンピュータ情報リテラシー等の講師をしてます。講義では,できるだけ多様な視座を提供したいと模索中です。

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